「失われた天然スギ林〜高知県馬路村〜」

1.景観の特徴

1-1. 景観の概況

魚梁瀬杉の天然林は千本山のみに残り禁伐のため、巨木によって形成される雄大な景観になっている。

馬路村では、千本山における魚梁瀬杉の天然林の景観が特徴的なものとなっており、日本三大美林の一つに数えられている。このような美林の景観を作り出す要素を、周辺の人工林の景観との比較の中で分析する。

現在、魚梁瀬杉の天然林は魚梁瀬地区の千本山にのみ残っており、保護林として禁伐になっている。そのため、樹齢は平均200年にも上り、巨木によって形成される雄大な景観となっている。また、古くからの天然林施業によって形成されたため、モミ・ツガなどとの混交林となっており、樹間が広いのでやわらかい印象を受ける。しかし、昭和40年の魚梁瀬ダムの建設によって、現在では特定の場所からしか見られない。本調査でも適切な視点場からの景観を観るため、書籍からの引用を多用した。

千本山以外の地域はほぼ育種杉の人工林となっており、国有林と民有林が存在する。人工林は戦後の拡大造林で形成されたものであり、スギのみによって形成される景観となっている。また、間伐がなかなか進まないため樹間が狭く、密な印象を受ける。民有林は集落の周辺に位置し、近年盛んになったユズ産業により、秋には人工林の麓にユズ玉がアクセントを添えるようになった。

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写真1.魚梁瀬杉天然林の景観(真ん中が千本山保護林) 出典:千本山保護林パンフレット
写真2
写真2.人工林の景観(馬路村役場付近で撮影、2007/6/10)
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写真3.馬路村集落の景観(インクラインから撮影、2007/6/10)

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1-2. 特徴的な森林景観

魚梁瀬杉の天然林とその他の人工林の景観上の差異は、面的広がりの大きさ・テクスチュア・林縁の明瞭性に起因する。

ここでは、先にあげたような景観上の差異の要素を、地域森林景観の特徴把握のための分析・整理軸(下村、1999)にそって詳細に比較し、その中で主な要素となっているものを以下に記した。

また、各要素の要因を歴史、施業、樹種の3要因に分ける。各要因については2章で詳しく述べる。

①面的広がりの大きさ→歴史(管理形態)

  • 天然林:長宗我部時代から「お留山」の禁令を設けて森林資源の維持存続を図っていたが、山林払い下げ後の乱伐によって、現在の千本山保護林を残すのみとなっている。
  • 人工林:千本山保護林以外はスギの人工林となっているため、大面積にわたっている。

②テクスチュア→樹種(要素の大きさ)、施業(樹間)

  • 天然林:魚梁瀬杉の特徴から枝張りが小さく、また構成している要素は一つ一つ多様な形状となっている。天然更新の施業によるため、樹間が広く各要素は比較的離れている。
  • 人工林:樹木は規則性のある配置となり、一つ一つが同じ形をしている。また、植林によって造林され、間伐が十分でないため、樹間は密になっている。

③林縁の明瞭性→樹種(要素の形状)、施業(土地利用)

  • 天然林:樹木一本一本の樹齢が異なっているため樹高はバラバラであり、混交林でもあるため樹木一本一本が際立って見える。耐陰性のある性質から谷の部分でも生長し、もともとの地形もプラスされて林縁は複雑な形状に見える。
  • 人工林:樹齢が同じであるため樹高も同じで、林縁はなだらかな曲線となる。

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2.景観を支える背景

魚梁瀬地区の景観形成には、天然魚梁瀬杉を守ってきた施業、歴史的な経緯などが関係している。人工林との比較の中でこの要因をそれぞれ分析していく。

2-1. 歴史

魚梁瀬杉の天然林は古くからの天然林施業によって形成され、歴史的な経緯を経て千本山のみに残るようになった。

魚梁瀬に存在する魚梁瀬杉の天然林は、古くから天然林施業が行われてきたものだった。また歴史的な経緯で、千本山にのみ魚梁瀬杉天然林が残ることとなった。

長宗我部時代:「御留山

長宗我部元親は政治要目百ヶ条の中で、山林に関して「お留山」の禁令を設けて森林資源の維持存続を図っていたため、土佐の山林には至る所巨木の美林が形成され、莫大な森林資源の蓄積に至った。

藩政時代:藩有林

寛永13年に野中兼山が藩の執政になるとさらなる森林資源の管理に努め、様々な改革を行った。当時の森林管理は厳しいものだったが、凶作災害時にはお留山を解除して住民に職を与え、救済を図っていた。江戸幕府の命令によって木々が頻繁に切り出され、藩の財源の補強のため原始林を切り開いていったが、歴代藩主の施策によって藩有林は美林として保たれた。

明治時代:山林の払い下げに伴う乱伐

御宝山といわれた魚梁瀬の美林も、安い値段で払い下げられることになったが、他の便の良い土地に人気が集中し、魚梁瀬は誰も希望しなかった。維新当時は山林に対する価値認識が低かったため、かつてのお留山も相次ぐ乱伐によって荒廃した。国有林の中で林相を保つことができたのは、不便な奥地に立地した魚梁瀬の杉林と他数カ所のみとなった。

高度成長期:魚梁瀬でも大規模伐採

明治時代の乱伐の反省から、高知には中国・四国の林業を担当する大林区署、そのほか15カ所の小林区署が設置され、森林法や造林補助制度によって植林が進められた。しかし、高度成長期に木材が高騰したことから、魚梁瀬地方でも多くの魚梁瀬杉が切りだされ、現在では千本山保護林を残すのみとなっている。

図1
図1.魚梁瀬千本山の歴史的な経緯(筆者作成)

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2-2. 施業

古くからの天然林施業と戦後の拡大造林・再造林、これが天然林と人工林の景観の差異を生み出している。

天然林では古くから天然林施業を行ってきたのに対して、人工林では戦後、拡大造林や再造林を行ってきた。このことが千本山とそれ以外の地域の景観の差異を生み出す要因の一つとなっている。

天然林施業

天然更新により森林を造成する施業。魚梁瀬地区では古くから、魚梁瀬杉の実生更新によって天然更新を行ってきた。天然更新にたよるため樹間は比較的広く、広葉樹なども混ざった混交林としての景観を生み出してきた。

人工林施業(皆伐、拡大造林)

植林によって森林を造成する施業。高密度で植林を行うため、適切に間伐が行われないと、樹間が狭くなる。また魚梁瀬地区では、造林木(スギ)を育てるのに邪魔になるとして、モミ・ツガ・マツや広葉樹(サクラなど)を除伐してきた。このため、人工林はスギのみの景観となっている。魚梁瀬杉は植林には適さなかったことから、人工林には他地域の育種杉が用いられるようになった。

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写真4.天然林の景観(混交林の景観)     写真5.人工林の景観 出典:「杉」(1994)                  (馬路村集落付近で撮影、2007/6/10)

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2-3. 樹種

樹種としての魚梁瀬杉は、スマートな印象を与え幹が見えやすく、雄大な印象を与える。

魚梁瀬の天然林の景観を創り出す3つ目の要因として、景観の要素である魚梁瀬杉自体の特性を挙げる。人工林は、植林に適した育種杉を採用しており、以下に各種の景観要素としての特徴をまとめる。

表1.魚梁瀬杉と育種杉の概観の特徴(筆者作成)
特徴 魚梁瀬杉 育種杉
枝下高 高い 低い
枝張り 小さい 大きい
耐陰性 強い 弱い
樹高 肥大成長の割に高い あまり大きくならない

以上のような違いから、魚梁瀬杉は要素としてスマートな印象を与えるという特徴を持っている。また樹高が高く、枝下高が高いという特徴から幹が見えやすく、各要素が大きいことから、雄大な印象を与えるということが考えられる。

一方、人工林の育種杉は枝張りが大きく、枝下高が低いという特徴から、樹間が詰まって見えるという特徴がある。また、林齢が30〜40年のものが多くなっているため幹が細く、繊細な印象を与える。

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写真6.天然林の要素魚梁瀬杉(千本山保護林にて撮影、2007/6/12)
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写真7.人工林の要素育種杉(魚梁瀬地区にて撮影、2007/6/11)

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2-4. まとめ(各要因の関係)

歴史的な経緯が施業・樹種に影響し、天然魚梁瀬杉の景観を作り出してきたことから、歴史を今に伝える特徴的な景観ということができる。

以上のように、魚梁瀬杉の景観とその周囲の人工林の景観の差異は様々な要因によって創り出されていることがわかった。それぞれの要因は互いに複合的に関係しており、美林と言われる千本山の天然魚梁瀬杉の景観は絶妙なバランスの上に成り立っているということができる。

歴史的な経緯から、天然林施業の行われてきた千本山が残されることとなり、また天然林施業によって育まれてきた魚梁瀬杉という樹種が景観を構成する特徴的な要素となっている。魚梁瀬千本山の景観は、歴史を今に伝える特徴的な景観だということができる。

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3.基礎情報

3-1. 地理情報

対象とした高知県馬路村の情報。

  • 対象地:高知県馬路村
  • 魚梁瀬の杉林:日本でも数少ない天然林であり、秋田・吉野と並び日本三大美林の一つとして、1983年には「21世紀に残したい日本の自然100選」にも選ばれた。
  • 地域情報:
    • 馬路村:高知県東部、安芸郡の中北部
    • 総面積=165.52k㎡
    • 総人口=1,195人(県内35市町村で人口が2番目に少ない)
      (生産年齢人口663人、老齢人口334人)
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図2.馬路村の位置 出典:馬路村HP(http://www.inforyoma.or.jp/umaji/ )

図3.馬路村の人口と総世帯数の推移 出典:「わがマチわがムラ」(高知県馬路村)(http://www.toukei.maff.go.jp/shityoson/map2/39/306/index.html)

馬路村の地理

  • 高知県東部の1,000m級の山々に囲まれた山間に位置する。
  • 山:甚吉森(1,423m)、烏帽子ヶ森(1,320m)、天狗森(1,295m)、鐘ヶ龍森(1,126m)、亀谷山(1,083m)、八杉森(1,029m)
  • 河川:安田川、奈半利川
  • 面積の96%を山林が占めている。うち、国有林が占める割合は75%に上る 。農地は0.4%、宅地は0.2%。

図4.馬路村の林野率等 出典:「わがマチわがムラ」(高知県馬路村)(http://www.toukei.maff.go.jp/shityoson/map2/39/306/index.html)

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3-2. 自然の概況

魚梁瀬杉を育んだ、地域の自然情報。

地質

  • 雁巻山・千本山・一ノ谷山国有林は同一基盤の同走行上に東西に一直線をなして配列。基岩は軟弱な砂岩・頁岩・粘板岩の薄い互層よりなり、傾斜は垂直に近く、土壌の理学的性質は良好。
  • 地形が急峻であり、河川の谷が産地に深く入り込んでいる特徴がある。

気候

  • 山間部に見られる内陸性気候であるが、太平洋で発生する黒潮上の湿った気流が四国山地に吹き付ける影響で雨が多い。魚梁瀬の雨量観測所による年平均降水量は4,000mm超、日本でも有数の多雨地帯。年平均気温は15度と温暖で、杉の生育に適した温暖多湿。昼夜の温度差は大きい。
  • 古くから台風も多く直撃しており、大正時代並びに昭和9年の台風では甚大な被害を受けた。

植生

  • 千本山の植生は主に、スギ群集とスギ・モミ・ツガ・サカキ・シキミ群集に分けられるが、後者でもスギが優占している。混交林では上層が針葉樹林、下層が広葉樹林となっている。

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3-3. 馬路村の歴史(合併など)

馬路村は国有林の林野事業とともに生きてきた村。

藩政時代から馬路村の森林は手厚く管理されてきたが、藩有林は廃藩置県とともに国有林と民有林に分けられた。国有林では営林署での仕事が生まれ、管理・事務・治山工事が主であった。馬路村は国有林の林野事業とともに生きてきた村だと言うことができる。

表2.馬路村の歴史
1889年 馬路村と魚梁瀬村が合併し、現在の馬路村となる。
1964年 魚梁瀬ダム建設に伴い、魚梁瀬地区が現在地(円山地区)に移転。
1965年 魚梁瀬ダム供用開始。旧魚梁瀬地区が水没。
1979年 馬路温泉(コミュニティセンター馬路)開館。
1997年 魚梁瀬保小中学校にて「山の学校留学制度(山村留学)」開始。

その後平成11年(1999年)に営林署が廃止、現在は事務所に格下げされている。魚梁瀬地域では約350人が失業し、それ以外の人も影響を受けた。林業に関わる人が多かったため、なくなるときに反対が起きた。

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3-4. 馬路村の産業(観光、ユズ、木)

スギ林業・ユズ産業・観光の3つの産業が馬路村を支えてきた。

馬路村の産業は以下の3つから成り立っており、時代とともに変化を遂げてきた。

  • スギを中心とした林業
  • ユズ栽培・加工販売
  • 観光産業

【昭和40年(1965年)ごろまで:林業中心の時代】

馬路村は魚梁瀬地区と馬路地区から構成され、共に営林署を持つ村として国有林の林野事業とともに生きてきた。また、天然林施業によって培われた天然魚梁瀬杉は村の財産であり、経済的にも恵まれていた。1964年、魚梁瀬地区はダムの建設によって湖底に沈むこととなり、住民は現在の円山地区に移住。この時にそれまで村人の唯一の交通手段であった森林鉄道が廃止され、代わりに道路が造られることとなった。

【昭和40年(1965年)以降:ユズ産業の発展】

天然林の枯渇、外材の輸入による国産材価格の低迷などにより、林業は衰退していくこととなった。これに変わり、馬路村の産業を支えたのはユズ産業であった。馬路村産のユズを用いたユズ醤油「ゆずの村」やユズ飲料「ごっくん馬路村」などが売れ始めると、33億円産業にまで発達することとなった。

【現在:村の産業を活かした観光産業へ】

現在では、温泉宿泊施設を含む「コミュニティセンター馬路」、馬路村の案内所「まかいちょって家」などを中心に観光産業にも力を入れるようになった。もともとの豊かな自然に加え、復元された森林鉄道や「ごっくん工場」などが観光施設として人気を呼んでいる。

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4.今後の景観保全について

4-1. 聞き取り調査からわかった森林景観に関する現状

生活や産業の変化によって、地元の人たちの景観に対する意識も変わってきており、天然魚梁瀬杉の景観があまり認識されていない現状。

  • 地元の人の意識:周りに広がる森林(杉林)を景観としては見ておらず、観光の面でも紅葉する木を植えたほうがいいのではという地元の声が大きい。
  • 視点場の喪失:魚梁瀬ダムの完成により、視点場及び景観に対する考え方が変わってきて、村の代表的な景観として森林景観よりもダム景観が目立っている。
  • 保護林としての「禁伐」:元々天然林施業が行われていたところを完全に禁伐にして守ろうとするも、逆に従来の天然林施業の景観が失われつつある。
  • 新たな景観の出現:村の主要産業となっているユズが人工林のふもとに広がり、特に秋は周囲の森林景観の中でアクセントとなっている。

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4-2. 提言

地域森林景観は地域の人々の生活・地元の産業等の表現形の創出であり、現状も将来文化的景観として創出されるであろう。

  • 地域森林景観は単なる眺めとしての森林景観だけではなく、地域の人々の生活・地元の産業等の表現形として創出されたものである。そのようにして形成された文化的な景観への地元の人々及び周囲の理解が必要だと考えられる。
  • 観光面から景観を考えた場合に、紅葉する樹木を増やしていこうという動きも広まっているが、地域の特性を十分に考慮した上でなされるべきであろう。ユズも魚梁瀬杉も景色を良くしようと思って植えたわけではなく、産業としての面が強く、それが結果的に景観に表れており、地域の特徴的な景観となっているのである。
  • 昔からの施業を守ることが景観を守ることにつながる。スギの場合は成果が現れるまでに100年単位の時間がかかるが、その間のとりくみもまた文化的な景観として将来現れるであろうとは考えられないだろうか。
  • ユズ産業の発展によって出現した新たな景観も含めて、地元の文化的景観を積極的にアピールしていくべきである。

注:高知営林局では魚梁瀬天然杉に関する資料を昭和45-46年にとりまとめ、さらに昭和49年には魚梁瀬千本山保護林の施業の歴史や調査研究などを取りまとめている。天然杉の減少に伴い、昭和53年からは伐採の漸減計画をたて、現存する天然林は16%を皆伐し、新植による人工林施業とし、残り84%を一部禁伐も含む択伐で保育等は行なわない天然林施業を行なうとしている。

平成5年に策定した施業管理計画で国有林野当局は200年の長伐期施業を導入。

馬路村が要求してきた漸減方式を採用された訳であるが、これにより平成9年までの5年間は天然杉の伐採量を年7,000㎥とし、以後は3,000㎥、2,000㎥と漸減させながら、平成45年より平成114年にあたる年までは2,000㎥以下に押さえ、現在これまで育成してきた人工林が既に林齢90年に達していることから、平成115年度以降は天然林に近い魚梁瀬杉が供給できると計画されている。

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堅田一郎「土佐の森林および林業考〜明治百年記念出版〜」林野弘済会高知支部,1968
朝田盛「魚梁瀬地方に於ける天然生杉林の成立について」日本林學會誌20(6),325-332
堀内雍喜「魚梁瀬地方に於ける天然生林の林型と颱風の被害に就て」日本林學會誌18(3),168-174
安岡博「林分析解に依る天然生林更生状態の研究」日本林學會誌16(5),408-419
乾治「木製品加工事業への取組みと地域産業の育成--商品開発と販路拡大に成果みせる高知県馬路村森林組合(村おこし町おこしの担い手をめざして<特集>)」林業技術(通号550),19-22
松原邦雄,後藤達夫「地域開発に取り組む森林組合--高知県・馬路村森林組合(地域動向)」農林金融32(11),903-907,1979/11
高知県安芸郡馬路村森林組合「複合経営で通年雇用を果たす(森林組合と地域林業<特集>)」林野時報26(4),21-23,1979/07
屋久町立屋久杉自然館「杉」,11-12,1994
井原俊一「日本の美林」岩波新書,62-69,1997
下村彰男「地域森林景観試論」森林科学27,20-25,1999/10

2007年 孫芝英、星野真有美、渡部真理、菅原晋

対象地現地調査:2007年6月10日〜12日

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published on 2008-3-26
©2008 Laboratory of Forest Landscape Planning and Design
東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室