巨大な格子状防風林〜北海道中標津町〜

1.森林景観の特徴

1-1. 宇宙から確認できる格子状模様

格子状防風林は、一辺の長さが約3000m、幅180m、総延長は643kmという壮大なスケールをほこっている。

スペースシャトル・エンデバーに搭乗した毛利衛氏のカメラにくっきりと映し出された逸話を持つ。

1_1
図1.上空60kmからの眺め(赤線が中標津町)

格子状防風林の大きさは、一辺の長さが約3000m、幅180m、総延長は643kmである。中標津町のほぼ全域に被さるように配置されているが、隣接する別海町・標津町・標茶町の3町にも広がっており、4町の防風林の総面積は15,000haに及ぶ壮大なスケールをほこる。(東京ドームで例えると約3200個分)

この防風林は、2000年にスペースシャトル・エンデバーに搭乗した毛利衛氏が宇宙から撮影した写真にくっきりと格子状が映し出されていたという。

概要にもどる

1-2. 展望台や飛行機からの眺め

展望台や飛行機からの景観は、格子状が確認できることに加えて、大地の奥行きと草地と防風林のコントラストの違いが特徴的である。

1.2_1
図1.展望台(開陽台)からの眺め
1.2_2
図2.空からの眺め(写真は中標津空港に降り立つ時)

展望台(開陽台)や中標津空港発着の飛行機からは、防風林の格子模様が確認できる。霞かかるほどの大地の奥行きの中に広がる防風林を眺めることができる。薄緑の草地の中に、濃緑な防風林が浮きたつ様子が特徴である。

概要にもどる

1-3. 道路上からの眺め

直線形の道路上からは「一面の草地に囲まれた景観」と「道路両脇近くにせまる防風林の景観」が眺められ、自動車を走らせることで両者が繰り返えされるシークエンス景観が特徴的である。

また、防風林の外景観として、ギザギザしたスカイラインも特徴的である。

1.3_1
図1.道路上からの草地の眺め(道路に対して平行の向き)
1.3_2
図2.道路上からの草地の眺め(道路に対して直角の向き)
1.3_3
図3.道路上からの防風林の眺め

鉄道が未整備である中標津町では、酪農や日常生活、観光旅行のための動線は道路へ集中する。広大な農地を貫く道路は停車に配慮されたものではなく、町と町を移動する通過の機能を持っているため、防風林と草地内の景観はシークエンスな(連続的な)景観に特徴が見出される。
防風林が草地を囲んだ単位を一区域とすると、道路は一区域を直線的に貫くように配置されている。自動車を走らせると、一面の草地に囲まれた景観と道路両脇近くにせまる防風林の景観が繰り返えされる。草地としての開放感は、速度に応じて一定のリズムで防風林に囲まれ、閉鎖感を受ける。

1.3_4
図4.道路を取り囲む環境のイメージ図

 

また外景観として、防風林のギザギザしたスカイラインも特徴的である。
 地域一帯が平坦な地形であることに加えて、防風林の樹種が針葉樹(カラマツ・トドマツなど)で構成されるために円錐形の樹形の連なりによる「ギザギザなスカイライン」が形成されている。防風林の一区画の中に河畔林が含まれることがあるが、河畔林は防風林よりも背丈の低い樹種かつ低地に成立するために河畔林の背後には防風林のスカイラインが形成されている。

1.3_5
図5.手前の河畔林と背後の防風林
1.3_6
図6.河畔林と防風林との垂直的な位置関係のイメージ図

概要にもどる

2.森林景観を支える背景

2-1. 明治期の開拓計画

明治時代、根釧台地ではアメリカを手本とした計画的に農業地を成立させる開拓計画が立てられた。

森林で覆われた台地は大胆にも地図上で直線を描かれ、規則性を持った防風林が徐々に切り開かれていった。

明治時代に、当時の政府は未開の地であった根釧台地(中標津町)の開拓計画を立てた。それは、計画的に農業地を成立させるための開拓計画であり、計画的な開拓のノウハウを持ったアメリカをお手本にした方法であった。(殖民地区画法;直線区画法)この開拓方法とは、「基線を引いてそれに直角に交わる基号線を造り、それに沿って道路などを設けて方形の区画をつくり、入植者の土地割や市街地の計画を行う」方法である。開拓計画に従い、森林で覆われた台地は大胆にも地図上で直線を描かれ、開拓の青写真が描かれていった。
 防風林は、この計画当初から眼目に挙げられており、「防風林は少なくとも1800間(3300m)毎にこれに相当する土地を適宜存置すること」と謳われていた。一面に広がった森林は、このような規則性を持った計画に基づき徐々に切り開かれていったものである。
 なお、防風林は、開拓計画と同時に国有林に指定されている。

表.1 防風林と農業に関する年表
年表 防風林 農業
1869年 政府は北海道に開拓使を設置し開拓を推進した。開拓方法は、アメリカで行われている植民地区画法 (直角区画法)を導入した。  
1890年頃 中標津で本格的な開拓が始まる。  
1930年頃 枕木の需要増加と大規模な山火事が起こる。荒廃が始まる。  
1933年   前年の大凶作後、『根釧原野農業開発5ヶ年計画』が策定され、畑作中心の経営から、牛馬中心の主蓄経営への転換が図られた。この際、農家1戸あたりの経営規模の拡大と経営安定が企図され、第2次世界大戦後における酪農経営の基礎づくりが進行した。
1945年頃 開拓や伐採で劣化した防風林をよみがえらせる活動が行われ始める。 (成長の早い信州産カラマツの積極的な植林)  
1956年   中標津が根室内陸集約酪農地域指定される。
1962年   第一次農業構造改善事業が実施され、酪農用の農地が大幅に拡大した。
1975年頃 カラマツがネズミの害を受ける。植林の樹種を郷土種(トドマツ・アカエゾマツ)へ転換。  

 

概要にもどる

2-2. 防風林の利用・管理

天然林(広葉樹)を計画的に刈り残すことで造成された防風林は、木材生産や荒廃からの回復のためにカラマツ(針葉樹)の植林が行われた。

戦後復興期以降、他地域の防風林は伐採が相次いだが、中標津においては農業・生活に不可欠な存在であったために往時の姿が保たれた。

現在、防風林の構成種は図のようになっている。

2.2_1
図1.防風林の構成樹種 (出典:「中標津の格子状防風林」保存・活用事業,2006)

針葉樹が77%を占め、特にカラマツの割合が高い。この結果には、針葉樹の人工造林が積極的に行われた背景と関わっている。 防風林の構成種は、開拓当初は天然林を主体とした広葉樹林(カシワ・ミズナラ等)であった。これは、元々存在していた天然林を開拓計画に基づいて刈り残したためである。利用としては、防風林としての機能に合わせて、薪炭林としての燃料に関わる利用がなされていた。  昭和初期には、森林鉄道や軌道のための枕木の需要の増加に伴い乱伐が進んだ。鉄道枕木に適したカシワが多かったこともあり、枕木を供給するための林業が成立するようになったためである。更には、三日三晩にわたる山火事が発生し、広大な森林が焼け、防風林の荒廃が起こった。  そこで、木材生産や荒廃を回復するために、成長の早い信州産カラマツの植林が行われるようになる。その後、カラマツは、ネズミの食害を受けたことや木材価格の低下によって植栽が控えられるようになり、代わりに郷土種であるトドマツ・アカエゾマツの植栽数が増加したが、現在も防風林の多くがカラマツで構成されている。

2.2bouhuurin
図2.防風林における毎年の植栽状況(昭和10年〜平成12年) (出典:「中標津の格子状防風林」保存・活用事業,2006)

 

また、戦後復興期に農地を拡大するために、国有防風林の開放が北海道で相次いだが、根釧台地(中標津町)の防風林は、厳しい気候から農作物を守る効果や、吹雪のときに進行の目印になることといった価値が見出されていたために、農地拡大の対象にならずに形状が残った。他の開拓地域では、農地の拡大や「日陰の発生による作物への影響や土壌凍結層の融解の遅れ」「耕地内への根の進入」等の農業にとってのマイナス要因が取り沙汰されて伐採が進み、縮小や消滅する防風林が相次いだ。中標津の防風林は、農業や生活に必要不可欠な存在であったことが、現在の形状を留めている要因である。

補足1.防風林の紹介


図1.中標津の防風林(出典:根釧台地の格子状防風林http://kankou.nakashibetsu.jp/)

中標津の防風林:幅180m

 


図2.帯広の防風林(提供者:伊藤 弘)

帯広の防風林:幅40mほど

概要にもどる

2-3. 気候に適した農業への転換

開拓は作物栽培が意図されたが、低温・濃霧の被害が相次ぎ、乳牛育成と牧草栽培を主体とする酪農へと転換された。

中標津町の耕地は他地域と比較して草地面積率が顕著に高い。

中標津は厳しい気候条件と特殊土壌の上に成り立つ。根釧台地は一帯の原野であり、その表面は摩周系の火山灰でかなり厚く覆われている。また、冬の気温が低く、夏もそれほど気温が上がらないうえ、海岸に近い地域では海霧のたちこめる日が続く。これらの条件のため、中標津での水田耕作はまったく不可能であり、農耕開拓の歩みは他の北海道の地域よりも緩慢となった。

 

2.3_1
図1.農地の利用割合(データ:わがマチ・わがムラ-市町村の姿-http://www.toukei.maff.go.jp/shityoson/)

現在の中標津においては、酪農産業が基幹産業となるまで発達し、農地のほとんど(95.9%)が放牧や採草のための“牧草地”として利用されている。中標津の農地は、草地が広がることが特徴といえる。

 

2.3_2
図2.経営耕地規模別の農家数(販売農家)(データ:わがマチ・わがムラ-市町村の姿-http://www.toukei.maff.go.jp/shityoson/)

また、経営農家1軒あたりの耕地面積は、95.1%が30ha以上を所有しており、広大な大地を生かした酪農経営がなされている。大面積の農地を持つことが、統一感のある一面の草地が成り立つことにつながっている。
以上の項目を北海道の著名な防風林地域と比較した表は以下の通りである。他の防風林地域では、作物栽培が主流になっており、さらに多様な面積で作付けされているため、中標津の一面の草地が広がる点は中標津地域の特徴といえる。

概要にもどる

3.基礎情報

3.1 人口・立地

 総人口23,179人で北海道の東部に位置する。

3.1_1
図3-1 位置図

3.2 気候

夏の平均気温は20度前後と低い。これは太平洋岸の海霧の侵入に伴う日照時間の減少により、気温上昇が妨げられるためである。
  また、冬は流氷の接岸と発達するオホーツク低気圧の影響によって平均気温は氷点下となる。

3.2
図3-2-1 中標津町と東京都の月別気温
3.2_2
図3-2-2 中標津町と東京都の月別日照時間

3.3 山河

主な山は武佐岳・中標津岳。主な河川は武佐川・標津川・当幌川である。2級指定河川〜普通河川において89河川を有している。

3.4 植生

中標津においては、その樹林地のうち、51.3%が人工林、48.7%が天然林である。 人工林のほとんどが針葉樹で構成されており、天然林のほとんどが広葉樹で構成されている。

3.4_1
図3-4 樹種別樹林地面積(森林計画面積)(出典:わがマチ・わがムラ-市町村の姿-http://www.toukei.maff.go.jp/shityoson/)

3.5 土地利用

総土地面積:68,498ha


図1.主要項目の土地利用面積
1
図2.林野面積における所有者の内訳

林野面積の内、国有林は25,352ha、民有林は7,903haを占める。

3.6 視点場としての名所

・ 開陽台
   展望台のある標高271mの台地。
   格子状防風林を一目で把握することができる。
  ・ ミルクロード
   国道272号・町道北19号線をミルクロードという。
   車道から防風林・酪農景観を見ることができる。
  ・ シーニック・バイ・ウェイ
   釧路湿原〜中標津間が、地域の魅力を眺めることのできるルートとして観光指定されている。
   車道から防風林・酪農景観を見ることができる。中標津エリアでは国道272号線を指す。
  その他の観光名所
  ・ 養老牛温泉
   中標津市街から約27km、無色透明の豊富な湯量を誇る温泉。
 ・ 中標津空港
   道東地域への窓口。知床・野付半島・摩周湖・阿寒湖・屈斜路湖へ。

3.7
図3-7 中標津町の名所(地図の出典先:「中標津の格子状防風林」保存・活用事業,2006)

概要にもどる

4.問題提起

4-1. 砂利採集の問題

建築用の砂利を採るために、草地が掘り込まれることが多い。地主さえokを出してしまえば、草地の開発は容易く行われてしまい、取り締まることは難しい。砂利採集後に草地に復元するような計画であっても、一度掘り込まれた草地は保水力が低下してしまう等、元通りの草地を望むことはできない。

4-2. 鉄塔建設の問題

携帯電話の電波塔(30〜40m)等の高い人工物は、カラマツの防風林の高さ(15〜25m)を軽く越える。携帯電話の電波塔に関しては、どこでも建てることができないよう景観条例の下に規制が作られたが、その他の人工物についても、防風林と草地からなる景観の中で際立って目立つ可能性があり、規制しなければならないだろう。

4-3. 農地の転用問題

生活を守るための防風林とはいえ、幾つかの場所では農地に転用されている。一度森林を農地へ転用してしまうと、農地法の規制の対象となり、簡単には森林に戻すことができない。農地を造る際には補助金等の推進制度もあるが、森林に戻す際には補助的な制度もない。

4-4. 防風林の更新の問題

防風林の更新は難しい。今あるカラマツはあと数十年で更新の時期を迎えるが、幅の1/3ずつでなければ、人々の生活に影響を与えてしまう。またカラマツは、秋には紅葉し、冬になると落葉するが、この性質が近隣の酪農家に維持・管理の手間を生じさせている。今後の更新の際にはアカエゾマツを望む酪農家も多く、林野庁もカラマツをアカエゾマツに換えるような計画を進めているという。

4-5. 防風林への理解

中標津には空港があるため、町の中心は市街地として発達しており、転勤によって住み始める人も多い。そのような外から訪れた人々、酪農に携わらない人々は、防風林・酪農地に対する関心が薄い。また、酪農家の人々も、市街地の人々の生活を見ることによって、「自分達だけがんばってもしょうがない」という意識が生じ、酪農地の保護に反対する人も少なくないという。

概要にもどる

参考資料:『中標津町の格子状防風林 保存・活用事業』事業報告書 (2006)、文化庁月報 No.434『格子状防風林ものがたり』 (2006)、日本地誌北海道編 (1979)、根釧原野地域農業開発基本計画書 大規模開拓基本調査 (1959)、中標津町役場HP、わがマチ・わがムラ -市町村の姿-、気象庁HP 気象統計情報など

2007年 秦 裕之、横関 隆登、Xena Iannes Lapido、Roni Wijaya

現地調査日程 2007年6月18日〜21日

HOME 調査事例 中標津(詳細)
published on 2008-3-26
©2008 Laboratory of Forest Landscape Planning and Design
東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室