JAPANを支える森林〜岩手県旧浄法寺町〜

1.漆林景観の特徴

1-1. 遠景の特徴

旧浄法寺町は全国的にも珍しく漆がまとまって見られる。 大規模植林地の周辺はほとんどが杉や檜で構成されている。

漆は杉や檜と比べ、葉色が淡く、樹高が低いため新緑の時期でも見分けることができる。


写真1.漆林遠景(中央黄緑色の樹林が漆林)

概要にもどる

1-2.中・近景の特徴

漆は畑の縁にも植林されている。特に四方が漆に囲まれている所では、周囲から隔絶された別世界のような雰囲気がある。

漆の丸みを帯びた樹形は直線的な畑の畝と杉・檜林の樹形とコントラストをなし、際立って見える。

写真2.葉タバコ畑を囲む漆林 写真3.トマト畑縁の漆林
写真2.葉タバコ畑を囲む漆林             写真3.トマト畑縁の漆林

概要にもどる

1-3. 林内景観の特徴

漆液を採るために、何回かにわたって幹に傷が入れられる。熟練の漆掻き職人が付ける傷は均等に並び、一見模様のようにも見える。

漆掻き職人がいる旧浄法寺町だからこそ見られる景観である。

  
写真4.漆液採取前の林内             写真5.漆液採取後の林内

概要にもどる

1-4. 紅葉(黄葉)の特徴

一般的に漆は山漆のようにきれいに紅葉しないといわれている。しかし、掻き方によっては、山漆のように見事な紅に染まり、紅葉した漆が見られる。

一つ一つ違う色に染まる漆が作り出すコントラストに富む景観は、均一に染まる楓とはまた違った味わいが感じられる。

  
写真6.紅葉時の遠景(加工)             写真7.紅葉時の近景

2.特徴ある漆林景観を支える背景

2-1. 漆の特徴

漆の樹高は15m程で、幹径は40cm程度で、樹皮の色は灰白色である。

落葉樹で、4・5月頃に発芽し、6月頃に黄緑色の小花を多数咲かせ、秋には紅葉(黄葉)し、四季の変化に富んでいる。

樹高は15m程で、幹径は40cm程度で、樹皮の色は灰白色である。落葉樹であり、4,5月頃に発芽し、6月頃に黄緑色の小花を多数咲かせ、秋には紅葉(黄葉)する。

生育に適している土地の条件として、日当たりがよく風通しの良い場所で、目の細かいところが適地といわれており、肥えた土ではかえってよくないといわれている。日本での分布は北海道から九州までであるが、漆の採集が行われているのは岩手、茨城などに限られている。


写真8.漆の樹皮

漆林の林床にはミズブキ、フキ、サシドリなどがある。その他にも、スミレ類、マンネンスギ、シシガシラ、キバナイカリソウ、トリアシショウマ、スゲ類が残存し、かつて自然林だったことを印象付ける植生となっている。(スミレ類として、エゾアオイスミレ、アオイスミレ、タチツボスミレ、アカネスミレ、エゾタチツボスミレ、スミレ等が挙げられる。)

 
写真9.林床のフキ             写真10.林床のサシドリ

下刈りは通常は6月と8、9月の年2回行われる。漆の育苗には、二通りがあり、一つは、伐採すると自然に根株から新芽(バエ)が出て、このバエを育成する方法である。二つ目は、一株から一、二本のバエを選び二年目に苗畑に移して仕立てる方法である。この方法は生長が早く約十年で漆が採取できる。

浄法寺の植立て方は状況次第で変えている。実生だけでなく、メリットがあれば萌芽したものを育てることもあるし、ないようだったら山ブドウや葉タバコに転作する。これは、土地所有者や漆掻き職人の意思によって決定される。一般的には萌芽は実生より成長が早く、質が良ければ3回から4回まで萌芽更新を行う(1回あたり15~20年サイクル)。バエによる分根での栽培は京都・富山・福井・(徳島)など西日本周辺や茨城などで行われている。



写真11.葉タバコ畑

概要にもどる

2-2. 漆掻き職人について

漆林の内景観の大きな特徴である、掻き傷は漆掻き職人によって6月から8月頃につけられる。

効率よく漆を採取するために幹につけられる傷は、非常に特徴的であり、一種の芸術作品とも感じられる。

漆は縄文時代以前に朝鮮を経て渡来したと考えられ、7世紀にはかなり栽培されていた。樹齢10~15年の漆から取れる樹液を利用して、主に塗料として用いられる。(他にも接着剤として用いられる。)

漆の木から漆をとる作業を「漆掻き」と呼ぶ。

漆掻きの方法には二通りあり、1つ目は「殺し掻き」で、漆を取れるだけ取って、木を殺してしまう方法である。6~9月さらには11月に漆を採取し、採り尽くしたあとは樹幹を伐採してしまう。2つ目は「養生掻き」で6~8月の2ヶ月間だけ漆を採取する方法である。両者ともき傷をつけてそこから樹液を採取する作業は共通である。漆掻きの作業工程を図1に示す。

昔は漆の実から蝋をとっていたので養生掻きを行っていたが、現在はそのような需要は無いので殺し掻きを行っている。浄法寺の漆は、日本産の中でも、ウルシオールが多く水分が少なく良質の漆とされる。

 
写真12.漆掻き             図1.漆掻き作業工程

概要にもどる

2-3. 時代ごとの漆林景観の変遷

江戸時代以降の漆の需要の増加から、漆の植林が行われた。

現在に至るまで、各時代の漆の需要やその他の農作物の需要などの影響で、時代ごとの漆の分布がうかがえる。

(1)江戸時代以前

浄法寺での漆の生産が盛んな理由として気候が適していることだけでなく、もともと自生していたことが考えられるため、山の中に漆の天然林が広がっていたと考えられる。

(2)江戸時代

この頃の漆の分布状況を知るのに越前衆の動向が手がかりになる。漆掻きが多く集まる場所では一気に大量の漆がなくなることから、福井から福島、仙台、一関へと移動し浄法寺へ入ってきたと思われる。今でも越前衆の末裔が浄法寺に住んでいる。江戸時代の中ごろになると、漆に対する需要の高まりから様々な場所への植立てが行われた。このときに現在残されている漆林の基礎が作られたと考えられる。1710年(宝永7年)には「漆並木が成木して偉観を呈していた」という記述が、紀行文『随鑾紀程』にみられる。1713年(正徳3年)に当時の漆植付奉行が各自の所有地の閑地に漆を植えさせるようにとの申渡しを受けた。このことから、宅地や耕地の閑地への漆の植付けはかなり一般化していたと考えられる。またこの時期には、課税対象となっている漆の本数の把握のため漆林について細かな調査が行われ、江戸時代中ごろに大規模な植林が行われるようになったことが伺える。

(3)明治~昭和前期

1888年(明治21年)には国道並木敷地への漆の植樹が奨励され、浄法寺を中心とする川目筋の一帯には、畑やその周辺の至る所に大径木が植生していた。この頃から昭和前期までは、街道並木や平地、宅地などかなり身近に漆の木があったと考えられる。また、管理も行き届き幹の太い良質の漆が生えていた。

(4)昭和中期

昭和30年代に入り、漆の価格が下落したことをきっかけに、葉煙草栽培が盛んになり、畑から漆が除去された(これには漆の木が大型機械の作業の邪魔になる、ウルシオールが葉タバコに有害という理由もある)。このときに畑の端の漆は切られずに残っていたので、現在でもわずかな例ではあるが畑を取り囲むような漆や、畑と畑の境目に残った漆を見ることができる。ただし、その木がいつごろからあるかなどはわからない。

(5)昭和後期~現在

このままでは漆がなくなってしまうという危機に直面し、浄法寺では1977年(昭和43年)から漆の植林に対する補助が始まり植林が始まった。さらに1987年(昭和53年)には日本文化財漆協会・岩手県浄法寺漆生産組合による漆の植林が開始された。しかし、現在は漆林はすぐに目に付くものではなく畑の脇に数十~数百本単位で植えられているものや、国有林として、山地に大規模に植えられているものがほとんどであり、日常的に人々の目に付く漆は少ない。現在は、漆振興室が旧浄法寺における漆の分布について、本数・所在(GPS)・太さ・樹高・病気の有無などを市で調査している。1区画30 a以上の場所はプロット調査(10×10を5か所)を行い、それ未満の場所は毎木調査を行っている。

   
図2.漆林分布の変遷(左から江戸時代以前、江戸時代から昭和前期、昭和中期、昭和後期から現在)(青は拡散、赤は密集して分布)
   
図3.漆林分布の変遷(左から江戸時代以前、江戸時代から昭和前期、昭和中期、昭和後期から現在

概要にもどる

3.旧浄法寺町の概要

3-1. 地形、気候、森林面積、植生


写真13.旧浄法寺町全景 「浄法寺町勢要覧」(1996)より

地名
岩手県二戸市浄法寺地区(旧浄法寺町 平成18年1月1日に旧二戸市と合併)

面積
179.70km2

人口
4981人 (男 2386人 女 2595人)

世帯数
1507世帯 (平成17年国勢調査)

地形
岩手県北部、奥羽山脈の北端部に位置し、丘陵地帯が大半を占める。町の中心部を馬淵川へと続く安比川が流れており、その支流も含んだ流域沿いに集落が形成されている。西部の稲庭岳や東部の田代山は奥羽山系一連の山岳地帯に属し、稲庭高原はレクリエーション空間として多くの人に利用される。

気候と植生
気候は年平均9.9℃、年間降水量785mm。純日本海沿岸要素と準日本海沿岸要素を含み、低地部には太平洋岸要素も混生する植生となる。積雪が多く寒さも厳しい環境のため稲庭岳や田代山では林床にチシマザサが構成する、日本海側タイプのブナ極相林や特有の風衝地植相の自然植生が存在する。他は自然植生に何らかの形で手が加えられ形成された半自然植生と植林地で占める。植林地の樹種はトドマツ、カラマツ、アカマツ、スギ、ウルシ、クリなど。町西部に多い天然シバが優占する牧草地ではウルシ林が点在し、林床にはスミレ類が群生する。

   
図4.浄法寺の降水量と気温

産業
葉たばこや漆塗り、天台寺が特に有名。特に良質の漆に恵まれ、日本で生産される生漆の6割を生産。その漆を使った、浄法寺塗の古い伝統を持つ。
また「どぶろく」によるもてなしの心で交流を深め合うことにより、地域の活性化を図ることを目的にどぶろく特区(浄法寺ふるさと再生特区)の認定を平成15年11月に受けた。

表1.浄法寺の産業
   

浄法寺塗
浄法寺塗は昭和初期をピークに急降下。大きな需要のもと、大量に漆の木を殺し掻きした結果、質は落ち、原木は底をついた。葉たばこ等の換金農業への移行が進み、ダメ押しにプラスチック製の器が入ってきた結果、昭和30年代には壊滅に近い状態にまで落ち込む。その後、昭和50年代にこの衰退状況を打開すべく、漆掻き職人の岩舘正二(浄法寺漆器工芸企業組合代表理事)や県工業試験場(現県工業技術センター)特産工業部の人々の手によって復興への活動が開始。同54年、岩舘正二代表を中心に「浄法寺漆器工芸企業組合」が設立され、漆器生産を再開。

概要にもどる

4.考察

4-1. 漆林の課題と今後の展開

一時期盛んであった漆産業も、昭和に入りその様子が変わってしまった。

現在は漆を産業という観点から後世に伝え、町おこしとして利用しようと考えられている。

歴史的背景や現在の状況などを調べた結果、漆産業、政策などと漆林の景観は深い関係があり、それに伴う景観も非常に流動的なもので変化に富んでいることがわかった。今回の調査で漆はかなり厳しい状況下にあることがわかった。しかし日光東照宮などからの依頼で今後の需要の展望が見え始めている。そんな中、今後の漆産業を発展させていく中で重要となってくるのが、漆産業が正当な対価を得られるような産業にしていくことである。現在は後継者の減少から漆掻き職人がどんどん減っている状況にある。それに歯止めをかけるために漆掻き職人の研修生制度が平成13年から始まっている。漆の木が健康に育つには人の手が必要なので、漆林の景観を今後残していくという点においても漆掻き職人の存在は重要である。また、浄法寺町としては漆を生かした町興しを始めようとしている。これにより、観光用に人里近くの畑に再び漆林が復活する可能性もある。また、殺し掻きをした木の幹(独特の模様が刻まれる)を木材として利用してユニークな街を作り上げる可能性もある。今後の漆産業の方向性によって漆林による森林景観は変化していくと考えられる。

 
写真14.掻き終えた漆の活用法(柵)             写真19.天台寺に続く坂道

概要にもどる

参考資料:『浄法寺町史』、『近世二戸漆の研究』、『漆の現状及び将来』、『漆かき職人の一年』など

2009年 長谷川学、佐藤崇皓、進野裕規

現地調査日程 2009年6月11日〜13日

HOME 調査事例 旧浄法寺町(詳細)
published on 2010-4-22
©2008 Laboratory of Forest Landscape Planning and Design
東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室