松之山(詳細) 「棚田とブナ林とスギ」 〜新潟県十日町市松之山町〜

1.森林景観の特徴

1-1. 至る所に広がる棚田の景観

松之山には全域に広がるブナ林に囲まれた地すべり地形と棚田の景観が至る場所でみられる。

棚田には圃場整備されたタイプと圃場整備されていないタイプの2種類がある。


写真1.松之山の典型的な景観(東川:2枚の写真から合成)

松之山が位置する新潟県頸城丘陵はブナを中心とした広葉樹林が広がる中山間地域であるが、その間を縫って至る所に地すべり地形とそこに貼りつく棚田が見られる全国一の棚田の卓越地である。どこを見ても棚田が目に入る景観は、日本の農村の原風景として写真家を中心に評判が高く、毎年多くの観光客が訪れている。

松之山地域の棚田は、棚田の地形としては比較的傾斜がゆるく、圃場整備が施されて比較的大きな区画面積をもつ水田が多く見られる。たとえば1999年農林水産省に【日本の棚田百選】に選定されている狐塚(こづか)の棚田はこのタイプである。

一方で圃場整備を免れ、原形をとどめている棚田も多い。天水島(あまみずしま)の棚田などはまさにそれで、曲線だけで構成されたユニークな景観をもち、同地区は2005年に文化庁による【文化的景観】の水田景観の重要地域にも指定されている。(参照:『日本の文化的景観』同成社、91p)

また松之山に特徴的なポイントとして、一般に棚田は小さな区画が緊密かつ大量に連なっているほうが優れた景観と評価される傾向があるが(補足2.参照)、松之山では小規模の地すべり地形の中にまとまるため枚数は少なく、また畦畔の幅が広く、緑の土坡がのんびりと間延びしたような景観が評価されていることがいえる。

 
写真2.圃場整備された棚田(狐塚:日本の棚田百選)、 写真3.曲線のみで構成された棚田(天水島:文化的景観重要地域)
図1.天水島の棚田景観の構成

補足1.地すべり地形の概要

地すべりとは、斜面上にある地塊が、地下の地層中に円弧状または平面状に形成されるすべり面の上を移動する現象である。これによって山の斜面部に現れる大きなくぼみを地すべり地形と呼ぶ。一般に地すべり地形では山側に滑落崖、谷側に移動土塊による盛土があり、当該地形の傾斜が緩くなる(図2)。また地すべりから時間が経過しても、地形の特徴と植生の違い(樹齢など)から見分けることができる。

また地すべりは一枚の地層がそのまますべる現象なので、地層の方向が斜面と平行のときは地すべりが起きやすく、逆に地層が斜面と直行していると地すべりは起きにくいという特徴がある(図3)。松之山の場合、天水島をはじめ地すべり地形に作られた棚田の斜面が、緑の生い茂る斜面と向き合っていることが多いのはこのためである。

 
図2.地すべり地形の基本要素、図3.地層の方向と地すべりの関係

補足2.優れた棚田景観の客観的基準

中島(1999)によると、1995年の「棚田フォトコンテスト」応募作品2677枚に統計的な分析をかけ各写真における棚田景観の傾向と投稿数から導いた、一般的に美しいと評価される棚田景観の諸条件は次の通りである。

  • 棚田一枚一枚の面積が小さい
  • 棚田の枚数は、数百枚程度のまとまりが必要であると考えられる
  • 棚田の背景にある島・川・平(盆地)・山岳や季節性のある彼岸花・漁火など各地区固有の要素がある
  • 棚田の背景となる周辺領域(地域全体)の構成要素(海・島・漁火・河谷・平野・山岳など)が棚田を引き立たせている。
  • 景観の構成要素が多様である

(参考:中島峰宏(1999):『日本の棚田 保全への取組み』古今書院、118p)


写真4.典型的な日本の美しい棚田景観の例(三重県紀和町)

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1-2. 畦畔(けいはん)に作られた稲架掛け(はさかけ)

松之山は畦畔のわずかなスペースに稲架掛けを設置して刈り取った稲を干す。

畦畔は狭いので稲架は何段も積み重ねられて非常に高くなる。

稲架掛けは通常水田の区画内に設けるのが一般的だが、松之山は畦畔という狭い部分に稲架掛けを設置して刈り取った稲を干す。畦畔は狭いので何段も積み重ねて非常に高くなる。昔はこれが松之山の至る所で見られ、稲刈りの季節特有の景観を形成していた。

現在までに農作業の機械化によってずいぶんとその姿を消したが、一部では今でも残っていて、米に付加価値を付けたり、学生が体験学習的に利用したりしている事例もある。(2007年10月某学生の個人ブログでも写真で確認できた。http://blog.livedoor.jp/matsunoyama2006/)

 
写真5.農作業に向かう学生たち(上記ブログより引用)、写真6.稲架掛けが出来上がった状態(同ブログより引用)

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1-3. パッチ状に点在するスギの人工林

棚田と周囲林にはスギ人工林がパッチ状に存在し、景観に変化を与えている。

棚田の畦畔(けいはん)や周囲のブナ林には、数本から数十本ごとにまとまったスギ人工林がパッチ状に存在する。ブナ林のスギは森林景観をモザイク状に彩り変化を与える。また、棚田の畦畔部分のスギは景観にアクセントを加えるだけに留まらず、棒が括り付けられ稲架掛け(はさかけ)の支柱として利用される場合もある。これらは棚田や山林とひとびとの関わりを想起させると共に、全体としての景観に変化と多様性を与えている。


写真7.棚田のスギ人工林(天水越)

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2.森林景観を支える背景

2-1. 湿潤な土壌による制約と可能性

土壌が湿潤でなおかつ地形が急傾斜である土地は慢性的に地すべりが起きやすい。

しかし土壌が湿潤であるとは水が豊かであり稲作に向いているということでもある。

松之山一帯は土壌が湿潤で慢性的に地すべりが起こる地域である。傾斜が急なので一度に十分な面積の平地を確保できず、小面積の耕作地を階段状に造成する必要があった。そこでは湿った土壌に適した作物である水稲が優先的に栽培され、地域全体に棚田が造成されることとなった。

また土壌の湿潤さは、一般的に刈り取り後の水田に設置されやすい稲架掛け(はさかけ)を、より乾燥した畦畔(けいはん)に作るという方法を導いたとも考えられる。


図4.地すべりが起きてから棚田が作られるまでのプロセス

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2-2. 各農家による自治的なスギの植林

各農家による自由裁量で棚田とブナ林の中にパッチ状に点在するスギが植えられた。

ただしスギ植林が林業として成立しなくなった現在では基本的に放置されている。

各農家の都合に従って場所も本数も自由裁量で植林された。この施行形態によってスギがパッチ状に点在して植林される景観が作られた。ただし現在の棚田の中や山腹に見られるスギの多くは過去に個人規模で造林していたものの名残でもあり、今ではほとんど林業として成立していない。また副次的な目的でもある稲架掛けの土台としても、作業の機械化のために稲架掛け自体が行われなくなり、ほとんど見られなくなった。


写真8.枝が伸び放題のスギ

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2-3. 棚田への注目

近年棚田景観への関心が高まりつつある。

農業資源としてだけでなく、環境資源として棚田は価値を見出され保全されている。


図5.棚田マップ(表紙)

1990年代ごろから棚田は、従来の農業資源としての用途を超えて、観光資源として棚田景観への関心が高まりつつある。農作業の機械化が主流の現代にあって、手作業中心になる棚田の生産性・効率性を高めていくことは困難であるから、松之山でもこの考え方は積極的に取り入れられた。松之山観光協会では2000年に「棚田マップ」を作成して道の駅などで無料配布を始めたり(図5)、観光協会のホームページ(http://www.matsunoyama.com/kankou/)で個人が運営している風景写真中心のブログを複数紹介するなど、棚田の景観を観光資源として認識し積極的に利用している。

ただし現在の予算規模と人員から、あまり広大な面積(たとえば松之山全域など)をカバーすることは不可能で、観光用として維持できるのはせいぜい3箇所程度であろうとも捉えられている(2005年6月、十日町市役所松之山支所でのヒアリング調査)。また、当該調査地は2005年4月に市町村合併で十日町市に取り込まれた形になったが、合併前の松之山町の時期には「たんぼシンポジウム」(1995)や「棚田オーナー制度」など町を挙げての棚田保全プロジェクトが積極的に行われていたのが、合併後はあまり目立たなくなった感じがするのは否めない。なお、十日町市行政は松之山地域に「癒しとくつろぎ」を期待している。(『十日町総合計画基本構想』)


図6.棚田マップ(内容)(広げるとタテ50cmヨコ80cmで新聞紙と同じ大きさになる)

補足3.棚田景観への関心

岡橋(1993)は、農村における地域政策的な整備施策のなかで、景観に配慮がなされるようになったのは1980年代以降のことであり、それは国家財政の緊縮のため、それまでの財政依存型の経済成長が持続しえなくなって、農村の多くが自治体による内発型の地域振興、いわゆる「村おこし」に転換されるようになってからのこととし、その財源として「ふるさと創生資金」が用いられたとしている。

また、この時期になると、農村における道路、河川、橋梁などの社会資本整備もある程度の水準に達し、量よりも質が問われるようになり、経済面でも工業より観光・リゾート開発などのサービス産業が重視されるようになったことが景観への関心を高めた背景であると指摘している。このことは、見方をかえて農村整備の観点からみれば、経済性や利便性にかわって快適性(アメニティ)が追求されるようになったことを示している。

(参考:岡橋秀典(1993):ルーラル・デザインの展開と農村景観論、地理科学48、255-268pp)

(引用:中島峰宏(1999):『日本の棚田 保全への取組み』古今書院、91p)

補足4.写真家ジョニー・ハイマスの風景写真

上記のヒアリング調査では松之山の棚田景観に対する世間の関心について、ジョニー・ハイマスの1994年出版の写真集『たんぼ』が一つの大きなきっかけだったという見解を得た。当該の写真集は、基本的に日本全国の棚田の景観をまんべんなく収めた写真集であるが、表紙で使われているのは他でもない松之山の棚田であるばかりか、全部で124枚44地域のうち実に33枚が(旧)松之山町の区域内で撮影された写真であり、さながら『松之山棚田写真集』といった感触さえ受ける。

ジョニー・ハイマスは日本の風景を好んで撮影する英国出身の写真家であり、しばしば「日本人よりも繊細」と形容される観察眼と写真には定評がある。1974年以来日本に定住し、現在までに多数の日本の風景写真集を出版している。

写真家ジョニー・ハイマス公式ホームページ http://www.johnny-hymas.net/Title.html

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3.基礎情報

3-1. 立地、植生

表2.面積
総土地面積 8,631 ha
可住地面積 3,113 ha
都市計画区域面積 - ha
市街化区域面積 - ha
耕地面積 1,010 ha
林野面積 5,518 ha
表3.樹種別樹林地面積(森林計画面積)
人工林 1,291 ha 天然林 3,013 ha
   針葉樹 1,249 ha    針葉樹 1 ha
      すぎ 1,243 ha       あかまつ・くろまつ 1 ha
      ひのき - ha       その他 - ha
      あかまつ・くろまつ 1 ha    広葉樹 3,012 ha
      からまつ 5 ha       くぬぎ・なら - ha
      えぞまつ・とどまつ - ha       ぶな 613 ha
      その他 - ha       その他 2,399 ha
   広葉樹 42 ha
      くぬぎ・なら - ha
      ぶな - ha
      その他 42 ha

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参考資料:『十日町総合計画基本構想』、『日本の文化的景観』、松之山観光協会ホームページ、中島峰宏『日本の棚田 保全への取組み』など

2005年 浅村一冬、一言太郎、加藤元英、朴賢俊、崔海永、浜泰一(2007年編集:藤原敦)

現地調査日程 2005年6月1日,2日

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published on 2008-3-26
©2008 Laboratory of Forest Landscape Planning and Design
東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室