1.奈良県・吉野

(1)地域の概要

1)立地

吉野林業は、中世後期の大阪、京都などにおける木材需要の増加と、近世中期の灘、堺などにおける酒造業の発展とともに、木材供給のシステムを確立し現在に至っている。吉野川を利用することで、それらの消費地への木材運搬が比較的容易であったことが、吉野林業発展の一因であるといえる。

吉野林業といわれる地域は、広義と狭義の二つの定義がある。広義には吉野郡全体を指している。吉野郡は、面積では奈良県の60%を占めており、北部は吉野川流域、南西部は十津川流域、南東部は北山川流域と3流域から構成されている。いずれも林業の盛んな地域である。しかし狭義には、吉野川を木材の搬出に利用してきた地域である、川上村、東吉野村、黒滝村の3村で構成されている地域を指し、一般には、この狭義の定義が用いられている。<参考文献2>においても、流域の観点から、吉野川とその支流の高見川(小川)流域を、狭義の吉野林業と定義している。

本レポートは狭義の吉野林業の観点に立ち、その中でも特に、吉野川が流れる川上村を中心に行った調査に基づくものである。調査地点は、図Ⅰに示したとおりである。

2)自然の概況

吉野林業の発展と深い関わりを持つ吉野川は、修験道の聖地である山上ヶ岳に源を発し、川上村を北上した後、中央構造線を西へ流れ下る。この地域は、中央構造線の真上から南にあるため外帯に属し、地形は急峻なV字谷が形成される。河岸にはほとんど平地が形成されていないが、中腹以上には随所に緩傾斜地が開け、村落が形成されている。また耕地は極めて少ない。

地質は、主として秩父古生層の水成岩の風化した埴質壌土であり、リン酸カリウム、珪酸塩類に富み、土壌は、保水性と透水性が極めて良好である。

気候は、年間雨量2000mm以上、年平均気温14度、冬季の積雪30cm以下という林木の生育に適した条件を備えている。同時に、地域の南部の大普賢岳(1780m)を主峰とする紀伊山脈によって、台風の被害も少なくおさえられてきた。

3村(川上村、東吉野村、黒滝村)の面積に占める森林の面積は、94.5%(42,796ha)であり、そのうち人工林は99.5%(スギ:68.2%,ヒノキ:31.2%)となっている。第2回自然環境保全基礎調査による現存植生図を見ても、この地域には、スギ・ヒノキ植林地が圧倒的に多く、川沿いに集落と畑が分布している様子がわかる。また、適地適木の考え方から、沢沿いにはスギを多く、尾根部にはヒノキを多く、植栽されてきている。

図 1 調査ルート

3)社会・経済の概況

吉野林業地域(川上村、東吉野村、黒滝村)の総面積は、44,874haで、そのうち民有林は42,085haと非常に高い割合を占める。民有林のうち、森林の所有者が在村者である面積の割合は、21.5%であり、不在村所有者の割合いが高い。川上村においては、不在村者所有の割合いが88%と更に高くなっている。このことは、吉野において借地林制度と山守制度が発達したことと関係が深い。

〇借地林制度

この制度は元禄年間に始まったものといわれる。交通の不便などから木材生産による利益が低く、衣食の維持も困難となり、村外の商業資本・農業資本に依存することになった。その際、土地の所有権と使用収益権を分離することで、所有権は失ったが、地上権を設定し、仕事の場は維持した。これにより、生産のシステムと技術は地元に保持され、伝承された。この借地林制度には、立木一代限り・定期・年限一代限りなどの方法があるが、現在では一部に残るのみである。

〇山守制度

借地林制度の発達と、村外所有への移行に伴い、山守制度という管理組織ができた。森林の所有が村外に流出するのは、地元住民の個人所有林が移動した場合と、部落共有林がまとまって移動した場合の2種類がある。元来、個人所有林の所有権移動の場合は、旧所有者がなるのが一般的であり、部落共有林の場合は、地域住民の中から信用のある者を選んだ。山守は、所有者に代わって人夫を集め、指揮管理して、撫育を進める。立木皆伐時に、3〜5%が山守料として支払われる。山守自らが、立木を購入し伐採搬出して販売する力がある場合は、優先的に販売され、木材流通にも従事する。山守は地域のリーダーとしての役割を果たしてきており、高度な木材生産システムをつくりあげた吉野地域における、住民と森林との関わりは、山守制度による所が大きい。

人口について見ると、以下の表の通りである。面積においては、奈良県の面積(369,109ha)の約12%を占める吉野林業地域も、人口においては奈良県の5%にも満たない、過疎地域であることがわかる。

Text Box: 表 1 人口
市町村名	世  帯		推 計 人 口		
	世帯数	対前月増減	総数	男	女	対前月増減
黒滝村	468	-1	1,247	589	658	-1
川上村	1,143	-3	2,584	1,297	1,287	-2
東吉野村	1,214	5	3,032	1,445	1,587	-2
吉野林業地域	2,825	1	6,863	3,331	3,532	-5
《吉野郡計》
13町村	22,526	9	62,928	30,076	32,852	-42
郡部計	133,993	184	406,528	195,238	211,290	36
県 計	508,321	585	1,448,140	695,086	753,054	389
奈良県総務部統計課資料より(平成11年6月1日現在)

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(2)森林景観の特徴

1)概況

この地域に卓越する人工林の景観について、今回調査を行った。調査地点とルートは、図Ⅰに示したとおりである。吉野川沿いを走る国道から得られる景観は、大部分をスギが占め、一部にヒノキが混じる程度である。一方で、尾根から見渡す若齢林においては、ヒノキが優勢である。

また、人工林の濃い緑の中に、所々広葉樹が見られる。調査は12月に行ったため、スギの深緑の中に、紅葉や黄葉が美しく映えていた。樹種はヤマザクラ等が多く、季節ごとに異なるコントラストを創り出す。ことに、春の花の季節には、美しい景観を生み出す。

先にも述べたが、河岸には平地が少なく、中腹に緩傾斜地が分布する。そのため、集落は道路より高い位置に、その周辺に畑地や果樹園などがわずかに分布している。

2)特徴的な森林景観

吉野林業地帯の森林景観を、外景観として顕著に表している写真を以下に示し、特徴を述べる。

一面の人工林  調査地点④

(視点)吉野町奥千本 標高850m

(対象)川上村の西部一帯の人工林 (視距離)数百m〜約10km

(考察)一面に広がる人工林である。沢沿いから尾根まで植林が行われたこの景観には、神秘性すら感じる。吉野地域では、一般に、人工林を尾根から俯瞰できる視点は少ない。一般道路が川沿いを走るためである。この地点は、修験道者が吉野山から山上ヶ岳へ登る道にあり、ここから先は、現在でも女人禁制とされる場所である。案内していただいた地元の方ですら、あまり訪れたことがない場所とのことであった。これらのことから、この景観は非日常の景観といえるだろう。

沢沿いのスギ林   調査地点⑬

(視点)川上村枌尾 車道より  標高380m

(対象)スギ林300年生(写真中央〜右奥)

(考察)吉野川沿いの国道から、1.5kmほど沢沿いを上った地点に、ひときわスケールの異なるスギの一群がある。写真では判別が難しいが、樹高は約45m、直径が1mを上回る巨木である。立木密度は約100本/ha以下であり、林内は開けている。その開けた林内では収益間伐後の渋抜き(自然乾燥)が行われていた。ここでは、河原と林内を利用して、林間学校の活動も行われている。

 「吉野スギの美林は沢沿いの日陰のようなところに多く分布している。」とは案内していただいた山本氏の弁である。この美林という意味は「本末同大、直幹無節、完満、年輪が幅均一、色香がよい」という吉野スギの性質を備えるという意味合いが強いが、一方で、神秘性と美しさを備えた森林景観をもつくりあげている。

尾根のヒノキ   調査地点④

(視点)吉野町奥千本 標高850m

(対象)川上村の西部一帯の人工林

(考察)尾根部には、ヒノキの植栽が見られる。ヒノキはスギに比べて、厳しい環境に耐えることから、従来から尾根部や土壌の質の劣るところには高い割合で植林されている。

スギと広葉樹の混淆   調査地点⑭

(視点)川上村伯母谷 国道より 標高620m

(対象)大迫ダム越し対岸のスギ林に広葉樹が残る

(考察)スギ人工林の中に広葉樹が帯状に残っており、スギの深緑の中に紅葉黄葉のコントラストをつくりだしている。樹種はヤマザクラ、カエデ等であるため、四季折々異なる色彩を生み出す。広葉樹は、森林の保全  の目的で残された場合と、種子の飛来等による場合に残ることになる。大迫ダム周辺には、母岩の露出した個所も多く見受けられる。この森林も斜面の保護の目的で、尾根部などの不安定な部分に造林を行わなかったものと考えられる。

集落   調査地点⑳

(視点)川上村北塩谷 国道より 標高350m

(対象)吉野川沿いの斜面中腹に開けた集落

(考察)吉野川の河岸には平地が少なく、集落は、斜面中腹の緩傾斜地に立地する。この写真の北塩谷は、吉野川沿いにある集落である。支流沿いの道を上った所に、緩傾斜地があり集落が開けているのが、この地域の特徴である。<図Ⅰ参照>また、吉野地域の家屋は、吉野造りと呼ばれる構造を持つ。

吉野造りとは、傾斜地に建つための構造であり、吉野山の旅館などは有名である。尾根側の道から見ると玄関が一階であるが、谷側から見ると傾斜のため二階となっている。このような構造上、吉野山では旅館の客室やベランダから、すぐれた眺望が得られるのである。これは、観光地である吉野山において、景観を楽しむための一つの仕掛けであるといえるだろう。

高原集落からの眺望景観   調査地点⑪

(視点)川上村 標高600m

(対象)高原集落から望む人工林

(考察)川上村の中心街である迫地区から、支流の高原川に沿って約2km上ったところに、高原集落がある。この集落にある230年生のスギ林は、資料や文献などにもしばしば引用されており、吉野林業を代表する地区であると言える。この集落は、先述した斜面中腹の緩傾斜地に立地する集落である。

写真中央部では、林齢のちがいが識別できる。また、右上部には、一見裸地のように見える部分があるが、造林されており、鹿などの害から苗を守るための防護柵も設置されている。

この節の最初に挙げた、人工林の俯瞰が非日常の景観であるのに対して、この景観は、集落に視点を置いており、地元の住民にとって最も日常的な景観であると想像できる。このような景観の中で生活する人々によって、吉野林業の伝統は受け継がれてきた。

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(3)森林景観の管理と特徴

1)地域森林景観としての吉野スギ美林

吉野林業地域の優れた森林景観は、林業との密接な関わりの中で生み出されたものである。視点を車道などの一般的な場所にとる場合は、スギ人工林が主な視対象となり、その景観は外景観となる。外景観としてのスギ人工林は、濃緑色の中に樹冠部の尖形が現れる、比較的単調なものである。樹冠部の尖形は、垂直方向への成長速度が大きい若齢林において顕著となり、老成林では丸みを帯びる。また、樹冠部は鬱閉させるため、京都北山林業におけるような、景観の特殊性はない。しかし、前章において見た通り、吉野林業地域は、長年の人と森林とのかかわりが生み出した地域森林景観として、様々な側面を有している。見方を変えれば、これらの地域森林景観は、吉野スギの品質を高めるために、地域が一体となって取り組んだ結果生まれた、副産物であるとも言えるだろう。

吉野林業においては、「本末同大、直幹無節、完満、年輪が幅均一、色香がよい」木材を生み出す森林を、美林としている。このような特性を持つ品種を、長年育成しており、起源は春日スギとも屋久スギとも言われるが定かではない。吉野地域で言われる美林と、本レポートのテーマである地域森林景観には、深い関係があることが本調査によってわかった。

吉野地域における美林とは、様々な条件が揃った時に成立する。まず自然の条件としては、元来スギの生育に適しているが、更に谷地形で、湿度が保たれるところが良い。次いで住民の役割としては、造林、撫育、間伐、主伐の一連の過程を行うシステムを築き、実践して行くことが必要である。また、間伐を行いながら二百年以上も管理を続けてゆくには、社会、経済的な面でも成熟している必要があるだろう。つまり、①自然の条件、②林業従事者(≒地域住民)の営為、③それらを支える社会的な状況の、三者の相互作用として成立するものであり、その何れが欠けても成立し得ないのである。その意味において、吉野スギの美林は、地域森林景観の一形態と位置付けることができる。

これまでに本レポートの中で、「自然の条件」と、「社会・経済の概況」については大まかにおさえてきたところであるが、「地域住民と森林とのかかわり」について次節で述べることとする。特に、「森林の保全」の観点から、森林の取り扱いについて、ヒアリング調査と文献調査をまとめる。

2)森林の保全

森林を持続的に維持管理してゆくために、吉野地方では、古くから森林の保全に対する意識が非常に高く、また技術と思想を継承してゆくことにも配慮されていたことが、参考文献2「吉野林業概要」佐藤彌太郎著、に記されている。要約すると、以下のようになる。

〇森林の保護は地元住民に依るのが最も安全かつ確実である。いかに周到な管理組織を以ってしても、地元との関係が円滑でない時は、森林の保護は困難である。

〇森林の所有者が遠隔地に居住している時は、地元で最も信用できる者を選んで「山守」とし、山林の管理を嘱託する。山守は山林の保護に関して全責任を持つ。

〇借地林業においては、山役金により、特に経済的な観点から、地元住民に森林を愛護させた。山役金という地主と借地人との利益分配法を用いることで、借地人はその山林にできうる限りの保護を加えた。

〇森林愛護の思想は代々継承され、地域が一体となって取り組むことで、人火、盗伐などの害は絶えてなかった。

また、保全の考え方に基づいた形で、合理的な植栽配置が行われていた。図Ⅱ参照(南本氏へのヒアリングによる)

吉野地域の典型的な地形と、スギ・ヒノキの性質に基づいて、スギとヒノキの植栽の割合を斜面の位置関係から決定している様子がわかる。 Text Box: 図 2 図Ⅱ 吉野の地形と典型的な植栽配置

参考文献3には、スギとヒノキの混植について、主なパターンが述べられている。谷から山頂までを5分し、谷にはスギを、尾根にはヒノキを多く植栽する方法がとられてきた。また、植栽後の間伐の割合によっても、成林時のスギとヒノキの割合をコントロールした。図Ⅲは、同文献中の挿絵であるが、一見してわかる通り、スギは谷に、ヒノキは尾根に、それぞれ成林している様子が描かれている。

植栽配置の特徴としては、尾根に雑木(落葉広葉樹)を残すことも挙げられる。尾根部に雑木を残した理由は、

〇崩壊危険地の保護

〇火災の類焼を防ぐ

〇地力低下の予防

〇強風に耐える

〇動物の餌場

〇狩猟を行う

〇山菜などを得る

〇領地争いを避ける

などである。

また、土地利用については、斜面の中腹に緩傾斜地があるという、この地域の地形の特徴を反映して、中腹に集落や畑が形成されている。しかし、畑の面積は非常に少ない。図Ⅰに、調査ルート周辺における、斜面中腹の集落を〇で印した。

森林を全体として生産性の高い状態に保つために、利用と保全の両面からの配慮が行き届いた植栽計画が行われていたことがわかる。以前はこれらの特徴が、現在よりも更に顕著であったが、昭和30年代の拡大造林期に尾根部の雑木林は減少してしまったようである。

住民と森林との関係を考える際に、吉野においては林業的な観点が最も重要視される。しかし雑木の配置に見るように、保全の考え方の中には、生活する上で森林と多様なかかわりを持つための工夫も織り込まれているといえる。

また近年では、吉野林業地域においても、森林が生み出す経済的な価値のみではなく、文化的な遺産としての価値にも配慮がなされている。川上村の個人所有林において、伐採のための調査によって、現存する最古の人工林が発見された際には、吉野林業の歴史的な遺産であるとの考えから、村が買い上げることで保存された事例もある。また、特徴的な森林景観で述べたような、林間学校や研修などの受け入れも、林業との調和を図りながら推進する方向にある。

(4)おわりに

おわりに、本調査にあたっては、吉野林業を伝え守り、更に発展させようとする各方面の方々から、貴重な御指導、御示唆をいただいた。奈良県指導林家の上田善嗣氏には、吉野町における集約林業経営についてうかがうことができた。川上村森林組合専務理事の南本泰男氏には、川上村を中心とした吉野林業の歴史についてうかがうことができた。また、㈱倭人専務の徳田浩氏には、調査全般の手配をしていただいた。最後になったが、奈良県吉野林業指導事務所の山本孝氏には台風の被害の事務処理にお忙しい中であったにもかかわらず、調査地点選定から移動、解説とあらゆる御指導をいただいた。吉野林業の今後の更なる発展を願いつつ、謝辞にかえさせていただきます。

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参考文献

1.「吉野林業法」 明治23年 盛口平治

2.「吉野林業概要」 昭和29年 改訂版 佐藤彌太郎

3.「吉野林業全書」 昭和58年 復刻版 土倉梅造

4.「吉野-悠久の風景」 平成2年 上田正昭

5.「森林 日本文化としての」 平成8年 菅原聰

参考資料

1.「吉野林業」 奈良県

2.「川上村の林業」  川上村、川上村森林組合

3.「奈良の林業 平成10年度」  奈良県

4.「現存植生図 奈良県 縮尺1:50000

大台ケ原4、吉野山8、山上ヶ岳9」

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1998年 矢野孝文

平成9・10年度文部省科学研究補助金 基盤研究(B)(2) 研究成果報告書(平成11年6月)より

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published on 2008-3-26
©2008 Laboratory of Forest Landscape Planning and Design
東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室