3.宮崎県・諸塚

(1)地域の概要

1)立地

宮崎県東臼杵郡諸塚村。

宮崎県の北部、耳川流域の山間部に位置する。森林率は95%で、林業が主な産業である。県土の2割を占める耳川地域は、かつては木炭・シイタケの主産地であったが、近年、拡大造林により造成された人工林に変貌し、新興林業地として全国的に著名になってきている。耳川流域の8市町村は、耳川森林計画区として、木材の生産から加工・流通までを行う総合的な林業地を目指している。

後に詳しく述べるが、森林の景観はスギ・ヒノキの針葉樹林とシイタケ原木(クヌギ等)林がモザイク状に広がる、特徴あるもので、耳川流域でも特に諸塚村の山林にその特徴が顕著に表れている。

2)自然の概況

①地形・土壌

諸塚村は九州の屋根といわれる九州山脈の中に位置し、諸塚山を中心とする標高1,000m級の山岳に囲まれてる。主な山岳は黒岳1,455m、諸塚山1,342m、大仁田山1,316m、赤土岸山1,169m、真弓岳1,080m。村役場のある場所が標高150mであることを考えれば、村内の標高差が著しいことがわかる。村の面積は187.59k㎡。村内を流れる河川には、耳川、柳原川、七ツ山川がある。土壌は、大部分、腐食性に富む褐色森林土壌が広く分布し、総体的に土壌条件に恵まれている。なお、植生については最新の調査が行われていないため、今回は省略する。

②気象

気温は一般に温暖であるが、冬期の最低気温は0℃を切り、積雪も見られる。雨量は多く、台風による被害も多い。温暖多雨の立地条件に恵まれて、樹木の生長がよく、かつては全域にわたってカシ・シイ等の暖帯広葉樹林が密生していたが、現在は70%がスギを主とする人工林に切り替わっている。

3)社会・経済の概況

①歴史

人口希薄の山間部のため、著名な史実は少ない。江戸時代、諸塚村は家代・七ツ山にわかれ、高千穂の荘と称して三田井家の所領であったが、西暦1592年(文禄元年)、延岡藩の城主高橋元穂に滅ぼされて以来、延岡藩の所領となった。明治4年の廃藩置県の後は、県の管轄は、延岡県、美々津県、宮崎県、鹿児島県と目まぐるしく変わり、明治16年に再び宮崎県となって今日に至る。郡は古くから臼杵の郡と称されていたが、明治17年に東・西臼杵郡に分けられ、村は西臼杵郡に編入された。明治22年、県令により、家代・七ツ山両村を合併して新たに諸塚村(村の象徴である神山諸塚山は神武天皇御遊幸のちとされる伝説の霊山であり、この山から三つの山領が南西に縦走し、その間を七ツ山、柳原両川が源を発して流れ村を形造っているため諸塚村と名付けられた。)と称することになった。その後、昭和24年に交通系統等の変遷により東臼杵郡に編入された。諸塚村の発展の流れは、昭和2年、舟筏路閉鎖(諸塚発電所建設のため)による見返り代償として住友吉左衛門氏が寄付した「百万円道路建設」(現国道327号線)に始まる。この道路の完成が村の産業を興し、経済発展の起因となった。

②人口

諸塚村は、2800名の村民が、急峻な斜面に拓いた88もの集落に分散して暮らす独特の地勢である。この様な集落の分散は、森林景観の形成に影響を与えているものと思われる。人口は昭和35年をピークに減少を続け、過疎化が進行していると同時に、高齢化も進んでいる。平成5年では、村の総人口に対する65歳以上の人口割合は22%に昇っている。産業別に15歳以上の就職者数をみると、平成2年では第1次産業が369名で最も多く、第2次産業が116名、第3次産業が215名となっている。

③産業

川沿いに田畑はほとんどなく、昔から農業は山林での焼畑農業が主であった。農業 だけでは生計の維持ができず、木炭・シイタケ生産等、林業との兼業農家や林業労働者が多かった。現在でも林業が重要な産業であることに変わりない。現在の産業としては木材、シイタケ、畜産、お茶を大きな柱に、これらの複合経営を営む林家、農家が大半である。

森林資源

平成5年の土地利用状況を見ると、農用地(耕地・草地)がわずか0.9%に過ぎないのに、森林率は95%となっている。森林資源の状況は昭和30年代から急速に進んだ人工造林の結果、約7割がスギなどの針葉樹林で、約3割がシイタケ栽培のほだ木(原木)に用いるクヌギである(スギ63%、ヒノキ10%、クヌギ19% 平成2年)。

●表 :土地利用平成5年(単位:ha、%)

区分 牧草地 森林 宅地 道路 河川等 その他 合計
面積 85 60 16 17,821 47 340 341 49 18,759
比率 0.5 0.3 0.1 95.0 0.2 1.8 1.8 0.3 100

スギは植えてから伐採まで40年から50年というサイクルが必要になる長期産業だが、クヌギは15年から20年で成長し、伐採することができる。いわば長期産業を補完する短期産業としてのシイタケ栽培であり、その現われとしてのクヌギ林である。

森林の所有形態はそのほとんどが民有林であり、国有林はわずか1.9%に過ぎない。また、民有林の中でも私有林が最も多く、林家数は576戸である。各林家が保有する山林は小規模で、95.3%の林家が50ha未満となっている。この様に、山林の土地利用の在り方を決定する所有者が多く、森林が細分化されていることが、村の森林景観の形成に大きく影響しているものと思われる。

●所有形態別森林面積(単位:ha、%)

区分 国有林 民有林 合計
県行造林 村有林 公団・公社有林 私有林 小計
面積 347 253 636 1,383 15,212 17,484 17,831
比率 1.9 1.4 3.6 7.8 85.3 98.1 100.0

資料:1990農林業センサス

●保有山林規模別林家数(単位:戸、%)

区分 0.1〜1ha 1〜5 5〜10 10〜20 20〜50 50〜100 100以上
林家数 50 119 116 118 146 27 0 576
構成比 8.7 20.7 20.1 20.5 25.3 4.7 0 100

資料:1990農林業センサス

さらに、参考に鶴助治氏による「諸塚村における林家経済調査結果一覧表」を下に載せる。対象とされた18戸の林家すべて、針葉樹林、クヌギ林、耕地を小規模ずつ所有していることがわかる。

木材となる針葉樹は多くが昭和30年代からの拡大造林で植えられたもので、七齢級以下が9割を占め、現在、除間伐の時期である。素材生産量は33,000m3、生産額5億円を超え、産業別にみると第1位の金額となっている(平成2年)。

シイタケ

宮崎県が全国第2位の生産量を誇る乾シイタケ(平成6年の生産量は1,077t)は、耳川流域が中心的な生産地である。なかでも諸塚村はシイタケ栽培技術や施設が県内の草分け的存在である。平成6年の乾シイタケ生産量は125.1tで、県全体の1割以上を占める。また、シイタケの生産額は生シイタケと乾シイタケを合せておよそ4億円程度である。こうしたシイタケ生産のための原木使用量は、平成4年では7,200mとなっている。

牛肉

牛は、肉用牛生産農家145戸が276頭を飼育しており、生産額は8,051万円である(平成4年)。農家戸数、頭数共に年々減少している。林床の手入を兼ねて、林内に放牧が行われている。

茶は、20.4haの面積で生産量15,350g、生産額4,789万円(平成4年)で、貿易自由化の影響も受けることなく安定している。地形上、増園が難しいため、昔から面積は増減していないが、適地があれば杉山を伐採して茶園への話題も出ている。

④交通

交通の歴史

歴史的に諸塚村の産業の発展を阻んできた要因は、その険しい地形にある。流通の難しさから商品の集散地を形成できなかったうえ、木材やシイタケの輸送さえも困難をきわめた時代があった。

現在、村の中心部は耳川の流れに沿っているが、ここは比較的新しく開かれた道であり、古くは、展望がきき比較的なだらかな山の稜線に沿って交通網が作られていた。諸塚村の集落が、斜面の中腹や山頂に近い所に多いのも、日当たりの面はもちろん、そうした交通アクセスにも有利だったからである。

稜線に沿った道は、昭和7年に現在の国道327号が開通するまでは、村民の生命線だった。当時、諸塚村には大きく分けて延岡方面、大分県竹田方面、熊本県馬見原方面と三つの主要な道路網があり、シイタケなどの商品や生活物資が、これらの道を通って往来していた。それは主に馬や、場合によっては人の背による運搬であった。『駄賃つけ』と呼ばれる専門の仕事があり、一人で4、5頭の馬を引いて運搬にあたった。諸塚村からは、シイタケ、茶、木炭、竹皮などが運ばれ、延岡からは塩、魚の干物、昆布等の海産物が、馬見原からは米や大豆等が入ってきた。

また、重量のある木材は耳川から流したり、あるいは川舟を使って美々津へ運ばれ、そこから関西方面へと出荷されていった。

現在の道路網

諸塚村の道路事情は昭和40年代から50年代にかけて劇的な変化を遂げた。現在、村の全面積に対する車道密度は1ha当たり約51mで、これは日本一の整備率である。この道路網は、地域と行政の連携が密に取られた、ユニークな方式によって達成されている。まず何より、行政の政策によって設定されるのではなく、地域から道を通して欲しいという要望がもたらされるケースが多い。

この間の地域での調整や要望は、各地の地区公民館を通して事前に行われるため、建設計画から実施までを短期間で行うことができる。また、工事実施の優先順位も公民館単位で調整される。このシステムは『諸塚方式』と呼ばれている。

これらの道のほとんどが生活・生産のためのものであり、現在、村道・林道ともに、路線拡大、改良舗装、安全施設の整備などが取り組まれている。また、フォレストピア六峰街道、大規模林道宇目・須木線といった、諸塚村の稜線を走る高規格道路へのアクセス整備にも、力が入れられている。

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(2)森林景観の特徴

写真1 展望台より東側・家代方向のモザイク林を望む(1998/11/10 午後2時頃)

視点場の標高 780m、最も遠い山頂までの距離 5600m、手前の畑までの距離 2600m

写真2 村の中心部より北東側の山林を望む(1998/11/9 午後1時頃)

視点場の標高 150m、対象とする斜面までの距離 約1450m

カメラ:MINOLTA  Capios115, レンズ:38mm

写真1は、諸塚のモザイク林の様子を一望できる展望台から撮ったものである。針葉樹林とクヌギ林がパッチ状に分布し、所々に畑や集落が見える、非常に特徴的な景観である。

写真2は、村の中心、役場のある付近から見える山の様子を撮影した。道は柳原川に沿い、急斜面の標高の低い部分にあたるため、見える範囲は狭い。村民が日常生活の中で見ている景観の一つである。ただ、諸塚村では標高の低い所から高い所まで、集落が分散して存在してるため、個人によって慣れ親しんでいる景観に多少の違いがあると思われる。標高が高くなるほど、景観の中でモザイク林の存在が大きくなる。

以下に①樹種の多様性、②土地利用の多様性、③森林の広がりと境界、④集落と森林の関係、⑤樹木密度について、諸塚村のモザイク林の特徴をみていく。

①樹種の多様性

主な樹種はスギ63%、ヒノキ10%、クヌギ(シイタケ原木)19%(平成2年)の3種である。スギの一斉林などに比べると多様といえるが、自然の森林に比べれば、明らかに少ない。ただ、モザイク状に分布しているため、景観的には多様に見える。

②土地利用の多様性(モザイク林を形成する各要素)

スギ林

伐採跡地(再植林あるいは放置)

シイタケ原木林(クヌギ林)

雑木林

農地(主な生産品:お茶、牛)

道路

以上のような要素からモザイク林が形成されている。諸塚村では平地が少なく、山そのものが生活の場である。農村の景観として一般にイメージされる、背後にあるものとしての山とは、その点で大きく異なる。

③森林の広がりと境界

モザイク林そのものは諸塚村に限らず大面積に広がっている。その広がりと境界線については、耳川流域、あるいは宮崎県北部という広範囲で把握する必要があるため、今後の課題としたい。

諸塚村内に限って言えば、南向きの比較的緩やかな斜面は道路も通しやすいため、シイタケ原木林が多く見られる。このため、その地域のモザイク模様が鮮明である。

モザイク模様が形成されるには、一つ一つの同一樹種のまとまり(パッチ)も、ある程度の広さが必要となる。また、パッチの境界線が明快でなければならない。写真3は、モザイク林の一部をズームで撮ったもの、写真4は、村の中心部の道路に面した森林である。写真4の森は様々な樹種が入り組んでおり、写真3のように境界線がはっきりしていない。

このことから、生産のために明快な土地利用がされていることも、モザイク林を形成している一要因と考えられる。

写真3 モザイク林・部分(1998/11/10 午後2時半頃)

写真4 集落(村の中心部)内の森(1998/11/10 午前11時頃)

④集落と森林の関係

急峻な地形であるため、集落は道路を基準として散らばっている。村の中心は柳原川下流(西郷村との村境付近)にあるが、これも面的な広がりを持たず、森林との境界はあいまいである。

⑤樹木密度

2,500〜3,000本/ha(スギ林)。標準的な樹木密度である。

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(3)森林景観の管理と特性

1)森林景観の形成要因と思われる管理等について

古くは広葉樹林に覆われていた諸塚村の森林は、昭和30年代に始まった拡大造林を機に、明快なモザイク林が形成されるようになった。椎葉村などの隣村にもモザイク模様の森林は見られるが、諸塚は特にはっきりしている。なぜだろうか。現段階では未だ推測の域を出ないが、幾つかの要因が考えられる。これまで述べてきたことの繰り返しとなるが、ここでまとめておく。

まず考えられるのは、諸塚村にとって林業が重要な産業であること、そして、森林のほとんどが民有林であり、なかでも私有林が多いことである。大規模な森林を所有する地主はなく、土地の所有権利は細分されている。また、収入までの期間が長いスギ・ヒノキに対し、クヌギ林は20年程度で成長する。長期的産業を補完する短期産業として、各林家ともこれら2種類の森林を所有しているものと考えられる(林家経済調査結果一覧表を参考)。これにより、諸塚村の生産林は広範囲に単一樹種が広がるという形態にはなりえなかった。

同時に、平地が少なく、土地のほとんどが急斜面の森林であることが、効率的に森林を利用することを促していると考えられる。手入れがしやすいように、ある程度まとまったスギ・ヒノキ林とクヌギ林をそれぞれ形成し、その境界線を明快にした。それがモザイクとなったのではないかと考えられる。したがって、搬出のしやすさを考えて土地利用を決定するものと推察すれば、日本一の整備率を誇る道路網の存在も、モザイクの配置を決定付け、景観を形成しているものの一つといえる。また、配置には樹種の特徴を考え、クヌギ林を比較的尾根筋に、スギ・ヒノキ林を谷筋に配している。

以上、景観を形成する要因をいくつか考察した。それぞれの要素の関連性を確率の高いものにするには、拡大造林前と現在の写真による景観比較、パッチごとの規模の把握、近隣地域との比較など、更に調査が必要となる。これらのことは今後の課題としたい。

2)近年の林業振興と取り組みの状況

近年における林業面の振興と取り組みの状況について、主要事項を箇条書きでまとめる。

①林地域外流出防止

地域林業の振興を図るため、諸塚村では35年に対策要綱を定め、村内林家の金融助成等を行って村外流出の防止を図った。県は45年からその対策を講じたが、他町村でもこれに呼応して取り組みを進めた。

②国土保全森林作業隊

多面的な林業作業を担当する月給制の専従組織として、この作業隊を平成2年に結成した。全国的にもユニークな取り組みとして注目されている。

③耳川流域林業活性化協議会

平成3年度に耳川流域の森林整備を総合的に進めるため、域内の行政機関・森林組合・業界等各団体によって、同協議会が設立された。耳川流域林業活性化センターを置いて(事務局:西郷村)、事業体の体質強化・高性能林業機械の導入等の取り組みが始められた。

④リゾート的活用

六峰街道周辺には景観を生かして運動公園・バンガロー等各種のレクリエーション施設が整備されている。沿線6町村は「フォレストピア六峰街道整備促進期成同盟会」を組織し(62年)、その中で「沿道自然景観保全・創出憲章」を制定して、各町村が足並みをそろえて道路の整備や自然景観の保全・保護に努めている。

諸塚村には、「しいたけの館」という特産物のPR施設や「池の窪公園」(ログハウス)等が建設されている。

また、県北フォレストピア構想の具体的な活動として、都市部の児童・生徒を対象とした体験交流イベント等を開催するなど、山村への理解を深めるための活動も行われている。

最後に平成8年度から実施されている「諸塚村森林整備計画」に触れておく。森林整備等の目的は、以下の通りである。

「…民有林の人工林面積は11,833ha(人工林率67.9%)となっているが、3齢級から6齢級までの要間伐林分が56.0%を占めていることから、引き続き、除間伐に重点を置いた施業を進め木材生産機能の充実を図るとともに、伐採跡地の確実な造林実行の指導、長伐期大径材生産を目的とした複層林施業の推進、有用広葉樹育成のための育成天然林施業の推進、生産基盤の整備等により、森林の有する多面的機能を総合的かつ高度に発揮させるため、各機能の充実と機能間の調整を図り、健全な森林資源の維持造成に努め、全村森林公園化、魅力ある森林郷を形成する。」(以上「諸塚村森林整備計画」より抜粋)

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<参考文献>

・『宮崎県林業史』 宮崎県 1998

・「1990 林業センサス 宮崎県」

・「諸塚村森林整備計画」 宮崎県諸塚村 昭和59年

・『諸塚村勢要覧’94 森からの発想。』 諸塚村役場 平成6年

・「宮崎県諸塚村における林家経済調査結果」 鶴助治 :昭和63年度 森林総合研究所九州支所年報第一号 p25

・「数字でみる諸塚村」 平成6年 諸塚村役場

・「市町村長大いに語る 10 期待される森林化社会」 中本 正洋 (雑誌名不明)

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1998年 荒牧まりさ

平成9・10年度文部省科学研究補助金 基盤研究(B)(2) 研究成果報告書(平成11年6月)より

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published on 2008-3-26
©2008 Laboratory of Forest Landscape Planning and Design
東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室