5.滋賀県・琵琶湖周辺

(1)地域の概要

1)立地

現在の滋賀県の行政全域は、そのままが昔の近江国である。もともと近江という国名は「淡海(あわうみ)」という音韻がつづまってできた名称であり、その名の通り、滋賀県は中央に琵琶湖を持つ湖国である。このなごやかな湖国の風物が、古往今来、この国を特色づけてきた。

表1 琵琶湖のデータ

今回の調査では、滋賀県の文化や歴史の上にも大きな関係を持ってきた琵琶湖(表1)の湖岸林に焦点をあててみた。

2)自然の概況

滋賀県は、地形的には周囲を山地で取り囲まれた盆地で、地域的な一つのまとまりを示すが、その中央に琵琶湖をたたえているため、おのずから湖北・湖南・湖東・湖西の4つの地域に分かれている。

滋賀県はまた、南北の気候の差異に対応して湖北と湖南に両分されることもある。湖西の比良山地北端に近い明神崎(高島町)と湖西の愛知川河口(彦根市・能登川町の境界)を結ぶ線を境に、その北部は冬季雪の多い北陸型気候区に属し、これに対して南部は冬季の降水量が少なく、全般的に瀬戸内気候区の特色を示す(図1)。

地形的には、滋賀県は中央に琵琶湖を持つ盆地で、大小40余りの河川によって湖岸各地に肥沃な複合沖積平野が形成されている。

また、表2の滋賀県の植生を見てみると、滋賀県の森林植生は約半分であり、開水面を除いた数字では約6割が森林植生となっている。その内訳はマツ林が20%と最も多く、そのほとんどがアカマツ林である。次いで落葉広葉樹二次林も16%と多く、スギ林・ヒノキ林は全森林植生の2割弱と少ない。

湖岸周辺に限って見てみると、湖西ではクロマツ・ヨシ・ヤナギが多く見られ、湖北ではクヌギ・コナラ・ツツジ・アカマツ・スギ・ヒノキ・サワラが、湖東ではヤナギ・ヨシの植生分布が見られる。

また、地域の概要を示すため、琵琶湖の全体図と琵琶湖周辺において実地調査及び写真撮影を行った場所を最後に載せておく(図2)。

3)社会・経済の状況

滋賀県について古代近江の歴史から振り返ってみると、特徴はまず東海・東山・北陸の3官道がこの国を通り、伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発(あらち)、この「三国の関」が国の外に接して設けられた事実であり、このことは即ち、琵琶湖とこれらの道路網を併せて滋賀県が水陸交通の要衝の国であったことを指し示す。また古代近江は、古くから近江の貢進物として有名な「近江の鮒」や、近江の国に多数あった「杣(そま)山」、国家権力の物的基礎となる「鉄」を産出する国として、特徴づけられる。

では、近代における滋賀県の産業を中心とした動向を見てみると、滋賀県は戦前から交通幹線通過県でありながら、全体として資源に乏しい内陸県で、京阪神と中京地方の中間地帯に位置したこともあって、大都市への人口流出がさかんで、産業構造変革の社会的、経済的要因の作用のないままに、県人口の8分の5の農業人口を持つ農業県-近畿の米蔵-として位置づけられてきた。また、自然環境は農業県維持の好条件を提供してきたといえる。

しかし、琵琶湖周辺の度重なる開発によって、現在では全国でもトップクラスの工業地域へと変貌を遂げ、湖東地区はまさにハイテク工業地帯へと変身している。

このような時代背景の中で、滋賀県の人口は大正9年の65万人から堅調に伸びており、終戦時の昭和20年には86万人、終戦時から約20年間は85万人程度で推移しており、以降湖東地域の工業化、大都市大阪圏を背景に現在では128万人の人口を誇る。

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(2)森林景観の特徴

今回の調査では琵琶湖周辺の森林として、クロマツ林を調査した。このクロマツ林及びその他のマツ類について取り上げた文献を紹介する。

菅原聰らの「森林」(1996,地人書館)の中では、只木良也によって日本の代表的な海岸林、三保の松原が取り上げられており、「長寿の象徴としての老松がいつまでも白砂の上にあることは、土壌生成が遅くて遷移が進まないことを表し、その理由として、土壌への有機物供給を止める落葉掃きという人間の営みが、それには見事に構図化されている。」としている。また、我が国の松林の盛衰について時系列で六期に区分し、第六期において、昭和三十年頃以降の石油化時代にあっては人間の森林依存度は低下し、収奪は停止して林地肥沃化、加えて諸開発や松枯れ蔓延により松林の松林衰退の時期としている。また、松林の防潮・防風の機能についても触れ、三保の松原が地域の生活や産業を支えてきたことを指摘している。

また北村昌美は「森林と日本人」(1995,小学館)の中で、木材としての魅力に乏しく、森林として見た場合にも整然とした美しさを持たないマツについてなぜ日本人に好まれるのか、意識調査やマツの名称にまつわる話、庭園との関係、白砂青松、能、絵画、銭湯の背景画を通してその魅力について紹介している。その中で「マツは日本人の日常生活の中では特異な存在である。生活に利用される材としてよりも、はるかに深い意味を持っている。」とし、マツと人間の深い関わりについて言及している。また、只木良也の「森の文化史」を引用して、マツが燃料材として登場するのは六世紀から七世紀にかけてであり、日本人が身の回りに豊富にある木を利用している内に、それが広葉樹からアカマツに替わったと推測している。即ち六世紀から七世紀というのは飛鳥時代であり、文化の花が開いて燃料の需要が急増した時代に広葉樹からマツに切り替わっているとし、人間の活動が痩せた土地を生み松林という安定的な空間を創り上げたことについても指摘している。

さらに、井原俊一は「日本の美林」(1997,岩波書店)において、クロマツ、アカマツ、カラマツによって構成される、庄内(クロマツ林)、南部(アカマツ林)、信州(カラマツ林)を紹介している。庄内(クロマツ林)の章では、住民が風や砂の猛威をしずめるために懸命にマツを植林してきた歴史について言及し、穀倉地帯としての庄内の発展の裏にクロマツ林の功績があったことを指摘している。南部(アカマツ林)の章では植物生態学者吉良竜夫氏の「人間による絶え間ない利用がアカマツを存続させてきた」という指摘を引用し、さらに化学肥料の登場と燃料革命を原因として昭和30年代後半を境にして人間とアカマツの関わりが切れたとしている。信州(カラマツ林)の章では明治10年代からの植林ブーム、現在収穫期に達したカラマツ林が木材としての人気の低さから放置されていることを紹介している。

以上3つの文献において紹介された、マツ属及びカラマツ属について整理しておく。

マツ属 Pinus L.

世界に80種、主として北半球に分布し、南はジャワ、ボルネオ、フィリピンにまである。

アカマツ Pinus densiflora Sieb. et Zucc.

至るところの丘陵から山地に普通にある常緑高木。若木は陽樹で、新しい土地によく生え、酸性、蛇紋岩などの土地に耐えてよく生育し、日本では最も広大な面積を占める。ときに植林されるし、また庭木として好んで植えられる。高さ35m、胸高直径1.5mに達し、幹は多くは曲がっているが、直幹のものもある。暖帯、温帯下部、即ち北海道南部・本州・四国・九州・朝鮮・中国東北部に分布する。一般には海岸にはクロマツが代わるが、岩手県の太平洋岸ではクロマツはなくてアカマツがあり、福井県の敦賀の日本海側にもアカマツがある。石灰岩地にはアカマツは少ない。花崗岩地帯にはアカマツは多い。現代のアカマツ分布(1979)に比して過去のアカマツ分布が少ないのは、人間が住むようになってから、森林を伐り、そこへアカマツが侵入したものである。第2次林として成立したアカマツ林は、絶えず伐られるので、原生林に遷移することがないのである。人間との関係が極めて深い。材は建築、土木、船、車、家具、器具、パルプ、彫刻、薪炭(鍛冶炭、煤煙から墨)。植物体に樹脂が多い。根から松根油をとる。

クロマツ Pinus Thunbergii Parlatore

海岸の砂浜や崖に普通に多い。まれに湖岸や内陸の山中にもある。しばしば庭に植えられる。大きなものは高さ35m、胸高直径2mに達する。樹皮は暗黒色、厚く、亀甲状に割れ目ができる。暖帯即ち、本州・四国・九州・南朝鮮の島に分布する。用途はアカマツと同様である。材はアカマツより樹脂分が多い。

カラマツ属 Larix Miller

山地に生える落葉針葉高木。樹皮は厚く、鱗片状にはげる。横枝は水平にでる。

カラマツ Larix Kaempferi

日当たりの良い火山の山地に生する落葉針葉高木。北海道、長野県その他で植林される。幹はまっすぐで高さ30m、胸高直径1mに達する。樹皮は灰褐色、縦に裂け長鱗片となって落ちる。温帯即ち、本州(石川県、静岡県から宮城県まで)に分布する。土壌の悪いところにも生える陽樹である。材は建築、土木、パルプに用いる。水湿に強いが、割裂しやすく、ねじれることがある。樹皮は染料とし、樹脂からテレピン油をとる。

さらに、「日本の白砂青松100選」に選ばれた琵琶湖の松林2つについて紹介する。

雄松崎(近江舞子)

<所在地>滋賀郡志賀町南小松〜北小松

<松林の規模>幅20〜100m、長さ3km、面積10ha、林齢100年生以上

<立地条件>琵琶湖八景の一つで「涼風、雄松崎の白汀」と呼ばれており、風光明媚な地として知られている。

<松林の歴史的経緯・伝説等>雄松崎の松林は、樹齢100年を超える古木などが1,500〜1,600本もあり、琵琶湖中に張り出した弦月状の砂州と比良の山々を背後に白砂青松が続く眺めはすばらしく、風光明媚な地として有名である。また、雄松崎の浜辺は、琵琶湖周航の歌にも歌われ、琵琶湖八景のひとつにも数えられる美しい浜で、一面の白い砂に澄んだ美しい水、全長約3kmの白砂青松の浜は、夏には水泳やウィンドサーフィンなど多くの人々で賑わっている。現在は、一部松くい虫の被害を受けているが、地元の懸命な防除により景観が保護されている(写真1)。

湖西の松林

<所在地>高島郡今津町浜分〜マキノ町知内浜

<松林の規模>幅10〜50m、長さ8km、面積6ha、林齢80〜100年生以上

<松林の歴史的経緯・伝説等>この松並木は、緩やかな曲線を描きながら今津町浜分からマキノ町知内浜まで約8km、2000本を超える松が林立しており、中でも今津浜付近には樹高20mを超えるものがある。この美しい景観を形成している松並木は「湖国百景」にも選定されており、湖上の風景と松並木が走馬燈のように重なり、訪れる人々の心を和ませている。また、明治の末期より防風林として地元の人々によって植林、保護されてきたもので、今では琵琶湖の景観になくてはならないものとなっている(写真2)。

以上、クロマツ林を含む日本の森林について書かれた文献、植物学的な視点から見たクロマツ林、さらには琵琶湖の代表的なクロマツ林2つを整理し、紹介した。これらの事と琵琶湖周辺に見られる森林景観との関わりについては後述するとして、ここでは一旦、琵琶湖周辺に見られた森林景観の特徴について箇条書きしてみることにする。

①樹種の多様性については、単一であるといえる。

②混交パターンはなく、基本的に直線的な単一の森林の分布を示す。

③均一性については、かなりランダムである。

④面的な広がりはなく、厚みのない森林を形成する。

⑤樹形については樹幹の傾く方位について均一性が見られる。

⑥境界については、クロマツ林が湖岸域と生活領域を分ける境界となっており、かなり明確な境界線としてクロマツ林が存在する。

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(3)森林景観の管理と特性

クロマツ林は地域の人々の生活を守る為に存在し、クロマツ林と人々の生活の関わりは密接であった。人々の生活と密接な関係があり、木材生産を目的としないものとして里山があるが、里山は樹種が多様であるのに対して、琵琶湖のクロマツ林は樹種が単一である(①)。

また、琵琶湖周辺のクロマツ林では他の樹種との混交は見られず、人間の生活とクロマツ林の間で、防風林としての機能的なつながりが確立されていたと考えられる(②)。

次に均一性については、クロマツという樹種に起因する樹形のばらつきにより、かなりランダムであるといえる(③)。

面的広がりについては、琵琶湖周辺のクロマツ林は広がりのない、薄く厚みのない構造をした松林であるといえる。クロマツ林の背後にある水田耕作地帯の拡大即ち人間の食料生産の場を拡大したいという欲求と自然の猛威から生活を守るという必要不可欠なクロマツ林との関わりがこのような森林の形に現れているといえる(④)。

樹形については、長年生活空間を風や雪から守ってきた証にある一定方向への傾きが見られることに気付く。そしてさらには、クロマツ林特有の樹皮からその歴史の深さが伺い知れる(⑤)。

最後にクロマツ林の持つ境界については、前述したように生活空間と湖岸の自然の領域とを分ける境界を成しており、かなり明確な境界となっている。また、あくまで想像の域を出ないことを断っておくが、クロマツ林が形成する物理的な境界以上に、生活空間と神聖な領域(=湖)とを分ける為の意味的な境界として、また、生活空間と漁場(=湖)を分けるための境界装置としての、意味的な境界の役割があったことが推察される。

さて、これらのクロマツ林は地域の人々による植林・造林・維持・管理があってこそ現在の姿がある。近年日本中で広がったマツ枯れ被害を食い止める為の跡があちらこちらで見られた(写真3)。

日本の自然の海岸線が減少しているが、そういった開発に伴うクロマツ林の減少とマツ枯れによる被害が重なって、生活との深い関わりの中から生まれたクロマツ林が減少し、その歴史が消滅している。マツ枯れの被害については、それによる単層林から複層林への移行など多面的に捉える向きもあるが、それ以上に、人間のライフスタイルの変化に伴って森林と人間の生活の関わりが薄れている感はあると思う。今回の調査では、そういった人間と森林の関わりの歴史を具体的なデータとして捉えきれなかったことが残念ではあるが、そういった歴史の連続性を追うきっかけとして琵琶湖の調査をしたことはとても勉強になったと思う。

クロマツは海岸林の代表的な樹種であるが、何故内陸の琵琶湖にクロマツという樹種を導入したのかという日本人のマツに対する意識や生活文化を探るのも興味深い。また、クロマツ林という樹種を特定して、人間の生活との関わりの中でどのような森林のタイプがあるのか、飛砂防備林や防風林、潮害防備林、防霧林等でどのような景観的・空間的差異が存在するのか探ってみたいと考えている。これらは今後の課題とする。

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参考文献・引用文献

1)(社)日本の松の緑を守る会(1996):日本の白砂青松100選,日本林業調査会,

p52-53

2)北村四郎他(1979):原色日本植物図鑑・木本編Ⅱ,保育社,p423-430

3)門司正三他(1984):陸水と人間活動,東京大学出版会,p255-291

4)前野隆資(1996):前野隆資写真集 琵琶湖・水物語,平凡社

5)武村正義(1980):水と人間-琵琶湖からの報告-,第一法規出版

6)鳥越皓之他(1984):水と人の環境史 琵琶湖報告書,お茶の水書房

7)菅原聰(1996):森林 日本文化としての,地人書館,p77-96

8)北村昌美(1995):森林と日本人-森の心に迫る,小学館,p245-263

9)井原俊一(1997):日本の美林,岩波書店,p87-111

10)村井宏他(1992):日本の海岸林-多面的な環境機能とその活用-,ソフトサイエンス社

11)立命館大学人文科学研究所地域研究室(1994):琵琶湖地域の総合的研究,文理閣,p81-98

12)滋賀県史編纂委員会(1986):滋賀県史昭和編第一巻

13)滋賀県史編纂委員会(1974):滋賀県史昭和編第二巻,p797-879

14)滋賀県史編纂委員会(1976):滋賀県史昭和編第三巻

15)滋賀県史編纂委員会(1980):滋賀県史昭和編第四巻

16)滋賀県史編纂委員会(1981):滋賀県史昭和編第五巻

17)滋賀県史編纂委員会(1985):滋賀県史昭和編第六巻,p925-934

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1998年 山本清龍・宮江介

平成9・10年度文部省科学研究補助金 基盤研究(B)(2) 研究成果報告書(平成11年6月)より

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published on 2008-3-26
©2008 Laboratory of Forest Landscape Planning and Design
東京大学大学院 農学生命科学研究科 森林科学専攻 森林風致計画学研究室